ロイヤルホストで夜まで語りたい・第1回「石坂線と神楽坂」(宮島未奈)
石坂線と神楽坂
宮島未奈
デビュー作の『成瀬は天下を取りにいく』が本屋大賞を受賞したことで、生活が変わったかとよく聞かれる。そのたびわたしは生活を変えないよう、滋賀から出ないようにしていると答える。
でも実は明確に変わったことがある。ロイヤルホストでドリンクセットを注文するようになったのだ。
『成瀬は天下を取りにいく』は滋賀県大津市を舞台にした小説だ。限りなくローカルな物語にもかかわらず、全国の皆さんにお読みいただいている。
なぜ滋賀県大津市を舞台にしたかといえば、わたしが住んでいるからにほかならない。
大津駅は京都駅からJRの在来線で9分の距離だ。東京から来たお客さんは口をそろえて「京都から近いですね」と言う。
滋賀県の県庁所在地だからそこそこ栄えている……と思いきや、大津駅周辺は官庁街で商業施設や飲食店に乏しい。観光客で一年中にぎわう京都駅と比べると、逢坂山トンネルで別世界にワープしたかのように静かだ。高いビルもなく空が広くて、中央大通りを10分も歩けば琵琶湖岸に出る。
このあたりにはファミリーレストランがほとんどない。唯一といっていいファミリーレストランが、ロイヤルホスト浜大津店だ。
ロイヤルホストに行くと決まれば、前日からホームページをチェックする。
グランドメニューをはじめとするすべてのメニューがデジタルブックで閲覧できるのはありがたい。見落としがないよう、画面を拡大してくまなく見る。
わたしは甲殻類アレルギーのため、えびとかにが食べられない。だからメニューとアレルギー物質一覧表を見比べて、食べられるものを確認しておく。
「○○が食べられないなんて人生の半分を損してる」という物言いは好きではないが、ロイヤルホストに限っていえばメニューの半分近くを損しているだろう。
しかしそれでロイヤルホストの魅力が失われることはない。わたしは何を食べるか迷いがちなので、選択肢が狭まってありがたいぐらいだ……と言いつつ、本当はコスモドリアを食べてみたい。
ロイヤルホスト浜大津店は京阪石山坂本線の島ノ関駅のすぐ近くにある。地元では石坂線の愛称で親しまれる路線で、二両編成の電車が通勤客や学生を運んでいる。
ちなみに島ノ関駅の一駅隣がびわ湖浜大津駅である。店名につられてびわ湖浜大津駅で降りると、900メートルほど歩くことになるので注意が必要だ。
わたしが訪れるのはたいてい休日のランチタイムで、夫と子どもが一緒である。一階が駐車場で、二階が店舗だ。入口に続く階段を一段一段踏みしめるうち、ロイヤルホストへの期待がいやが上にも高まっていく。
南側の窓際に通されたらラッキー。島ノ関駅を発着する電車がよく見えるのだ。何本かに一本ラッピング電車が通るので、ながめていると楽しい。
『成瀬は信じた道をいく』では主人公の成瀬あかりが、観光大使のパートナーである篠原かれんとロイヤルホストで作戦会議をする。
第一稿では別の場所だったのだが、かれんが比較的裕福な家の生まれであること、鉄道が好きであること、石坂線沿線に住んでいることを考えたら、ロイヤルホスト浜大津店しかないと気付いて変更した。
すでに前日からメニューを予習しているはずなのに、店頭のメニューを見ると再び迷い出す。えびとかにが入っていないメニューだけでもこの調子だから、アレルギーがなかったら小一時間は迷うだろう。
幸いにして夫も子どもも気が長く、メニューをながめて「やっぱりこっちにしようかな」「これもいいな」と一緒に迷ってくれる。
いざ食べたいものを決めて注文したら、最後に「ドリンクセットで」と付け加える。
以前のわたしは無料の水を飲めばいいと思っていた。これぐらいの贅沢は許されるだろうという気持ちが、440円に込められている。
ドリンクセットという名称もいい。つまりはドリンクバーなのだが、ドリンクセットと呼ぶことによって食事がワンランクアップしたような感覚になる。
一連の注文が終わると、子どもとともにいそいそと席を立つ。
ドリンクバーでまずグラスに注ぐのは、パラダイストロピカルアイスティーだ。これを飲むだけでもドリンクセットを注文する価値はある。芳醇な味わいでありながらくどくなく、お冷としても飲めるエース選手だ。
ドリンクセットを頼むようになってから、提供までの待ち時間が苦痛ではなくなった。ファミレス不足のせいか、休日のランチタイムは待ち時間が長くなることがある。そんなときでもドリンクセットを頼んでいれば、コーヒーを飲みつつ、持参した本を読んでゆったり待てる。
料理が出てきたら、あとは食べるだけだ。どうやらわたしはロイヤルホストにおいて、メニューやドリンク選びを楽しんでいるらしい。食べたいものはそのときどきで変わるから一押しのメニューは存在しないし、どのメニューもおいしいのは間違いないから安心して食べる。
食べ終わったらドリンクバーのバンホーテンココアをホットで味わい、お会計をして店を出る。
階段を降り、3分も歩けば琵琶湖岸だ。芝生の広場と遊歩道があり、広々としていて気持ちがいい。休日でも人が多すぎることはなく、食後の散歩に最適だ。
琵琶湖の景色を楽しみながらしばらく歩き、フレンドマートで晩ごはんの材料を買って帰る。なんてことない日常である。
2024年4月10日、わたしは本屋大賞発表会のため東京の明治記念館にいた。会場にはたくさんの書店員さんや出版関係者が詰めかけており、滋賀で過ごす日常の対極に位置するような日だった。
朝の6時台に出発して新幹線で移動し、午前中からリハーサルや取材に追われ、昼過ぎから発表会と懇親会、夜にはカラオケと、目まぐるしいスケジュールをこなした。
すべてが済んだ夜の9時過ぎ、どうしても甘いものが食べたくなり、行き着いた先がロイヤルホスト神楽坂店である。
期間限定の苺とピスタチオのブリュレパフェを注文したところ、パフェ本体と、ピスタチオプリンが別添えで出てきた。
店員さんいわく、「パフェに入れ忘れたので別にお持ちしました」とのこと。パフェ容器は縁まで満たされており、つまりピスタチオプリンの分だけ増量しているのである。
こんなイレギュラーな事態も本屋大賞のお祝いのような気がして、ありがたくいただいた。
ロイヤルホスト神楽坂店も浜大津店と同じ二階だった。窓から見えるのは夜でも明るくにぎやかな神楽坂で、石坂線をのぞむ浜大津店とはまったく異なる。
しかし店内に目を移せば見慣れた色調の内装が広がっていて、人々が思い思いのメニューを注文している。まるでロイヤルホスト浜大津店にいながら風景だけを神楽坂に取り替えられたかのようだ。
日常も非日常も包み込むロイヤルホスト。ピスタチオプリンをダイレクトに味わいながら、また明日からもがんばろうと思いを新たにしたのだった。
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