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北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』最終回

第12峰『オムニバスシリーズ』
   『照降町四季』『柳橋の桜』其の弐


時代小説の鉄人が放つ“アラ傘”群峰

笑いと涙、恋と活劇。

満腹させずには帰さない佐伯シェフのサービス定食


 情感あふれる親子愛からスタートする本シリーズは、人生の前半でつまずいた佳乃が、人として、職人として成長していく様子を、大火で致命的といってもいいほどの被害を受ける地元の再生と絡ませつつ、恋ありアクションありの展開でぐいぐい読ませる娯楽作品。さまざまな事件やアクシデントに見舞われても、1度は飛び出した地元の価値を再発見した佳乃の立ち位置が安定しているせいか、読者も安心してフィクションの世界に身をゆだねることができ、適度に笑える場面もあって肩が凝らない。

 また、初登場の場面ではしみじみしていた佳乃が、過去を引きずらず、すぐに本来のさっぱりした気性を取り戻して、困難に直面してもへこたれることがない芯の強さを発揮するのも安定感につながっている。ここへきて、またひとり魅力的なヒロインが誕生したことを素直に喜びたい。

 佐伯作品には本作の佳乃、『鎌倉河岸捕物控』で紅1点役を務めたしほ、『居眠り磐音 江戸双紙』で磐音と結ばれるおこんを始め、読者の記憶に残るヒロインが少なくない。妄想にすぎないが、彼女たちが出会い、おこんが佳乃に鼻緒を注文したり、『酔いどれ小籐次』のおりょうが小籐次と一緒にしほの働く豊島屋で1杯やっている横を、武者修行を終えて江戸へ戻った坂崎空也が通りかかるようなスピンオフ作品を読めないものだろうか。もしも〝オールスター夢の競演”が実現したら読者は大喜びすること請け合いである。

 話を本作に戻そう。開始早々、〝人はやり直せる。過ちに気づいたら、そこからまた一歩踏み出していけばいい”という全体を貫くゆるやかなテーマを読者に伝え、章ごとのエピソードで楽しませながら物語をダイナミックに動かしていく王道パターンに持ち込んだ佐伯泰英。こうなればもう無敵だ。

 佳乃に逃げられた男が取り戻そうと追いかけてくる。鼻緒屋の新弟子となる貧乏侍の周五郎と佳乃とのラブストーリーが始まる。照降町を復興させるべく人びとが動き出す。鼻緒デザイナーとしての才能を見出された佳乃が、つぼみが花を咲かせるように自立した女になっていく。これらの要素が同時進行し、佳乃の成長を促すような出来事がつぎつぎに起きてサービス満点。読者に飽きるヒマさえ与えない。

 女の職人が主人公の短いシリーズも、初挑戦とは思えないほど違和感がない。職人であるところがミソで、仕事を通じて人が成長することに男女差はないのだ。それと、くどいようだが照降町という柱がグイッと刺さっているのが大きい。タイトルからも察せられるように、影の主役は日本橋付近の小さな横丁である照降町なのである。

 地元を愛し、地元に愛され、自分にできることをする。現代では忘れられがちな欲張らない生き方を、あたりまえのこととして行う登場人物たちに感情移入しながら、清々しい気持ちで最終巻を読み終えた。

女性の自立と絵画の謎が同時進行する『柳橋の桜』

令和の社会問題を取り入れ、女性の生き方を描く異色作


『柳橋の桜』は、『照降町四季』で成功した4カ月連続刊行の第2弾。内容的にも前作に引き続き女性の生き方をテーマに据え、主人公の桜子を幼少時代から追う。

 ぼんやりしたテーマのように思われそうだが、桜子の夢は具体的であり、動機もしっかりしているので読みやすい。これは全4巻という長さも関係しているだろう。とくに序盤、わき目も振らずに目標に向かっていく桜子に好感を抱ければもう大丈夫。あっという間に第1巻読了だ。

 桜子の夢は何なのか。父の広吉と同じ猪牙船の船頭になることだ。幼いときに母が他の男と行方をくらましたため、シングルファザーとなった広吉に育てられた桜子は、ごく自然に船頭に憧れるようになった。

 剣術を武器とする佐伯時代小説のヒーローたちは180センチを超す長身と相場が決まっており、例外は『酔いどれ小籐次』の赤目小籐次くらいのもの。女性の桜子も長身で、船頭になるための肉体的ハンデがないように設定されている。また、幼いときから棒術の道場に通い、男子顔負けの素質を磨く。前例のない女船頭になるには、猪牙船の棹を操る腕力と体力、乗客に襲われても危険を回避できる戦闘能力が必要になるので、まずそこをクリアしようとするのだ。もちろん江戸の水路に詳しく、船宿の亭主やおかみさんからも可愛がられている。

 あとは〝女船頭なんて聞いたことがない”という大人たちの常識をどうやって打ち破るかだが、桜子の行動は10代の娘らしくまっすぐ。広吉や船宿の亭主に何度も希望を伝え、父の手伝いなどのチャンスをもらえば全力でこなして能力の高さを知らせる。

 桜子の一途な気持ちは周囲を動かし、1歩ずつ夢の実現に近づいていく。応援団は幼なじみのお琴、棒術の指南役である大河内小龍太、魚河岸の老舗の主人・江ノ浦屋彦左衛門など。単に後押しされるのではなく、船頭としての優れた資質が随所に発揮されるため、気がつけば私も応援団のひとりになっていた。

 話はサクサク進み、桜子は江戸初の女船頭としてデビュー。第1巻の後半は、読売が書き立てて地域のスターになっていく作者得意の展開とさっそく起きる事件の数々、小龍太との間に芽生える恋など、必要最小限の登場人物とエピソードで巧みに話を回す老練の技が光り、読者をほのぼのとした幸福感に誘ってくれる。このまま進んでくれと私は願った。

 だが、そうはいかないだろうとも思っていた。第1巻のごく短い序章で、柳橋の象徴である山桜の幹に額を押し付けて願い事をしている幼い娘(桜子)の横顔を、若い異人が画帳に素描する様子が記されていたからだ。この異人はオランダの画家で、帰国後その素描を油絵として完成させ、尊敬するフェルメールを超える野心を抱いていたことが第1巻の巻末で明かされる。これが物語とどう関わってくるかで『柳橋の桜』の中盤以降が決まってくるだろうが、私は少しばかり不安だった。いつものアレが出るんじゃないかと。

 第2巻は無事に過ぎた。父の広吉が何者かに殺されるという悲劇はあったものの、桜子はそれを乗り越えて船頭として一本立ち。読み心地は変わらず爽やかだ。だが……第3巻で流れが激変。わけもわからないまま桜子は小龍太と長崎行きの船に乗るのである。そして、ふたりはさらに海外渡航に出かけ……。

 やっぱり出た。不安的中である。長崎&海外は、『古着屋総兵衛』と『交代寄合伊那衆異聞』でさんざん読んでお腹いっぱいなのだ。素描の伏線を活かす必要から長崎行きはやむを得なかったのかもしれないが、主人公と恋人が1年半も江戸を留守にしたのはやりすぎの感がある。

 しかし、このまま失速する佐伯泰英ではなかった。筆の向くままにふたりを海外に向かわせた第3巻の終盤で「これ以上話が膨らんでしまったら残り1巻で終わらない」と思ったのか、第4巻の巻頭から猛烈な巻き返しを図るのである。

 第3巻の最後で異国に旅立った桜子たちが、第4巻の序章ではインドのカルカッタまでたどりついているのに、その期間に起きたことの説明もろくにないまま「長崎に戻るわ」と言い切り、すぐさま江戸に舞台を移動。長崎&海外で大いに刺激をうけたはずの桜子と小龍太は何事もなかったかのように周囲との関係を取り戻し、結婚というゴールに向かう。ゴールで素描にまつわるハッピーエンドらしい仕掛けを施そうとするあまり、誰もその絵を見たこともないフェルメールがひんぱんに話題に上る荒っぽさにはバタバタした印象も受ける。

 それらすべてを帳消しにするのは、細かいことは言いっこなしで完結までひた走るブルドーザー並の馬力あってこそだろう。順風満帆な第2巻までと、地図のない道を爆走するように先行き不透明な第3巻、一気呵成に物語を圧縮する第4巻のラストスパートまで、〝いまの最大出力”を惜しみなく提供してくれている。

全体を優しく包み込むのは、孫の成長を見守る視点だ⁉


 文章面で気づいたのは、いつになく会話が多いこと。親子、雇い主、師匠(途中から恋人に変化)、読売など他の登場人物と、桜子はいつも喋っている。効果も抜群。テンポが良くて読みやすいばかりでなく、自分の言葉で話すことによって、船頭になりたい娘が意思をはっきり示し、行動し、周囲からいい影響を受けて成長を遂げる様子がわかりやすく伝わってくるのだ。どこがどうということでもないのに、なんだかいい。そんな会話が本作にはどっさりある。

 私は娘を持つ父親なので、親子の会話がどうしても気になるのだが、たとえば以下のような何気ないものに父と娘の関係を感じ取ってしまう。桜子が父の舟のあとを自分の舟でついていき、指導を受ける場面だ。

〈広吉の猪牙舟は迷うことなく大川を下流へと下っていく。桜子はどこへ父親が猪牙舟を向けるか察していた。

(中略)

「お父つぁん」

 と叫ぶ桜子に、

「どうしたえ」

 と答えた広吉が後ろを振り向いた。

「ただお父つぁんと呼んでみたかったの」

 広吉がなんと答えていいか分からない顔をしたあと、にたりと笑って前を見た。〉

 最愛の娘から最高の言葉をかけられた広吉が、じんわりと幸福感に包まれていく様子が手に取るようにわかるのである。

 会話には冗談や冷やかし、打ち明け話、時候の挨拶など、話の筋と直接関係ないこともひんぱんに入り込んでくる。そういう雑音めいたもののなかにさりげなく入る重要なやり取りは、大上段に振りかぶったセリフより読者の胸を打つものだ。最終盤に桜子が亡き父に与えられる、本作のテーマと直結する言葉には、全4巻分の重みが乗っかっているような気さえした。

〈(桜子、子供の頃のおまえの願いはなんだった)

(お父つぁんと同じ猪牙舟の船頭さんになることよ)

(じゃあ、夢みてえなおまえの願い事は叶ったんじゃないか。あとはすべて些事、大したこっちゃねえぜ)〉

 私は父の立場で桜子の言動を読みがちだったのだが、桜子に対する作者の目線は祖父のそれではないかと思った。孫の成長を見守り、自由に遊ばせて成長を見守っている優しい眼差しとでも言えばいいだろうか。幼い孫の夢が叶うように、努力を惜しまぬ人であるように、いい伴侶と巡り合うように、広く世界を見て自分を確立するように、金や名声に振り回されないように、そっと様子を窺っている。

 ただしこの祖父、桜子に甘い分、まだ腰の据わっていない小龍太には少々厳しい。海外交易に興味を抱いた小龍太の将来やいかに。いつか、この男を主人公に……いや、そうなるとまた海外だ。小龍太は桜子の邪魔にならないよう、おとなしく生きていってほしい。


※ 『佐伯泰英山脈登頂記』は、書き下ろしを加え、2025年春頃に朝日文庫として刊行予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)