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北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第5回


第2峰『鎌倉河岸捕物控』



 
水の都に十手が舞う。
爽やかで温かい、江戸の青春グラフィティー
 
 シリーズ8本が同時進行。平成新山「佐伯山脈」が聳え立つ!

崖っぷち作家から売れっ子時代小説家へ

 捕物帳は昔から愛される時代小説の華。江戸を舞台にした探偵小説+警察小説のようなもので、エンタメ性が高いため人気があり、作家にとっては腕の見せどころだ。
 
 代表例は岡本綺堂『半七捕物帳』や野村胡堂の『銭形平次捕物控』、横溝正史『人形佐七捕物帳』、池波正太郎『鬼平犯科帳』あたりだろうか。推理力と腕っぷしを兼ね備えた〝親分”を中心に事件を追うスタイルは茶の間との相性がいいのか、テレビドラマ化された作品もたくさんある。
 
 となれば、一躍人気作家の仲間入りをした佐伯泰英が興味を示さない理由はない。時代小説家としてやっていく腹を決めたならなおさら、打って出るのは時間の問題だった。
 
 タイミングも絶好だ。出版社の変わり身の早さときたら驚くほどで、『密命』のヒットで執筆依頼が殺到するようになったのである。長くヒットに恵まれなかった佐伯泰英は、多くの人に作品を読んでもらえる喜びを知ったばかり。売れない作家に逆戻りしたくないという思いもあっただろう。ありがたく依頼を引き受けることになる。『鎌倉河岸捕物控』は右肩上がりに忙しさが増していくなか、シリーズ物の第4作としてスタートした作品だ。
 
 内容に触れる前に、当時の状況を少し整理しておきたい。とにかく尋常ではない仕事量なのだ。しかも多くの作品が同時進行で書かれる。それが流行作家だと言われたらそうなのかもしれない。だが、佐伯作品はほとんどが長期シリーズ。よく混乱しないものだと感心してしまう。
 
 1999年に『密命』が出版されてヒットすると、すぐにシリーズ化が検討され第2巻が出るのだが、版元の祥伝社が鉱脈を独占できたのはここまで。2000年には日文社文庫で『夏目影二郎始末旅』シリーズが、徳間文庫で『古着屋総兵衛』シリーズが産声を上げる。そして、そのつぎに本作『鎌倉河岸捕物控』がむくむくと隆起。休むことなく新山が連続噴火していく。
 
 引き受け過ぎなのではと心配になるほどだが、ハングリー精神と並外れた職人気質を持つ作家のヤル気はこんなものではおさまらない。多くの書き手から自分を選んでくれた編集者や版元を、少々売れっ子になったからとソデにするなんてできっこないではないか。後年になれば体力的な問題でセーブすることもあったと思うが、当初は「できるかぎり前向きに考える」が基本的な姿勢だったと想像する。
 
 また、それができてしまうのだなあ。佐伯泰英、タフなのだ。書いても書いても尽きぬアイデアと、締め切りを破らずキッチリ仕上げる早筆と義理堅さで、新作を心待ちにする読者をぐいぐい引っ張ってゆく。
 
 結果、どうなったか。とんでもない数のシリーズを抱えるようになるのだ。ピーク時の2005~2006年で9シリーズ同時執筆。年間に複数巻出されるものが多く毎月のように新刊が発売されるため、『月刊佐伯』の異名をとるようになる。あの頃、書店の文庫コーナーへ行くと佐伯本ばかり並んでいた記憶があるのはそのせいなのだった。

10シリーズ連続噴火で佐伯山脈の形が整った
 
 しかもこれ、一時の話じゃない。シリーズの刊行時期を整理するとこうなる。
 
 シリーズ名       出版社        刊行時期
『密命』         祥伝社        1999~2011
『夏目影二郎始末旅』   日本文芸社→光文社  2000~2014
『古着屋総兵衛』     徳間書店       2000~2004
『鎌倉河岸捕物控』    角川春樹事務所    2001~2018
『長崎絵師通吏辰次郎』  角川春樹事務所    2001~2003
『居眠り磐音 江戸双紙』 双葉社        2002~2016
『秘剣』         祥伝社        2002~2006
『吉原裏同心』      光文社        2003~2023
『酔いどれ小籐次』    幻冬舎        2004~2013
『交代寄合伊那衆異聞』  講談社        2005~2015
『新・古着屋総兵衛』   新潮社        2011~2019
『新・酔いどれ小籐次』  文藝春秋       2014~2022
『空也十番勝負』     双葉社→文藝春秋   2017~2023
 
「前向きすぎやしないか佐伯さん!」と声をかけたくなるほどの重なりぶりから、『密命』で突如噴火した火山が隆起を繰り返し、広大な山脈を形成していくさまがわかる。また、各シリーズの噴火期間が長いのも特徴的。比較的短期間で終わっているのは『長崎絵師通吏辰次郎』(全2巻)と『秘剣』(全5巻)だけで、あとは軒並み10巻越えとなっている。
 
 主要なシリーズは10作品。いずれ劣らぬ人気作ばかりだ。『密命』で世に出た恩義からか、祥伝社では『秘剣』も並行して書いている。角川春樹事務所も『鎌倉河岸捕物控』と『長崎絵師通吏辰次郎』の二本立てだ。
 
 しかも、ようやく終えたシリーズが、読者の要望に応えるかのように再噴火することもあるから油断ならない。「これにて完結」と筆をおいても、しばらくすると「書き残したことがある」と思いがちな、読者思いでサービス精神旺盛な作家なのである。

鎌倉河岸シリーズは長期化をもくろんでいた!?
 
『鎌倉河岸捕物控』が『密命』と違うのは、長期シリーズ化を念頭に物語の骨格を考えたように読めるところだ。インタビューでたびたび語られていることだが、佐伯作品は結末を決めずに書き始められ、登場人物たちに導かれるように先へと進んで「これで終われるな」と感じた時点でエンディングに至る。そのため、どうしても第1巻が見せ場続出の力の入ったものになりやすい。この、ギュッと詰まった感じが読者にとってはたまらない。「さあ、始まるぞ」と読んでいても力が入るのだ。
 
 その中で、本作の第1巻は先を見据えた構成となっており、なめらかな筆致で読者を物語にいざなう手際の良さはそのままに、主要な登場人物の紹介も兼ねている。著者の作品はおおむね1巻につき5~6話の連作形式。エピソードを深追いしすぎず、おさまりの良いところでまとめるテンポの良さにも磨きがかかってきた。
 
 では、どんな物語なのか。いずれは捕物小説を書きたいと思っていたというが、先人たちの足跡をなぞるのではなく、はっきりとした目論見があったと、細谷正充氏(文芸評論家)のインタビューで述べている。
 
〈江戸時代の青春グラフィティーみたいな、そういうのにしたかった。だから若い十代の三人の男の子というか若い衆が自分の居場所を見つけて成長していく過程、それを描けたらなという構想が出来ていた〉(『「鎌倉河岸捕物控」読本』より)
 
 目指したのは江戸の青春群像劇。その道具立てとして捕物を使うというアイデアなのだ。これが秀逸だったと私は思う。ミスマッチの妙と言ってもいい。
 
 青春から連想されることばは、友情、恋、さわやかさ、悩み、成長などである。一方、捕物から連想されるのは、犯罪、推理、アクション、親分・子分、死、暗い欲望あたり。両者には重なる要素があまりなさそうだ。
 
 この2つを大胆にも合体させて、青春物なのに甘ったるくならず、捕物小説なのに事件発生→解決の単調さに陥らないシリーズに仕立て上げる。横の人間関係(幼なじみの友人)と縦の人間関係(親分・子分)がうまく絡み合う読み心地の良さ。
 
 本作は佐伯作品でも指折りの人気シリーズだというが、読んでみて納得した。ブレない、ダレない、くじけないの3拍子そろっているのだ。とくに女性にはおすすめで、まずはここから佐伯山脈を登り始めるのがいいと思う。
 
むじな長屋育ちの幼なじみ、男女4人の江戸青春物語

読者を巻き込む素早いテンポ。攻めの姿勢こそ佐伯流だ

 ヒーローやヒロインを固定した青春小説ではなく、同世代の若者が活躍する青春群像を描く。まず、何から取りかからねばならないか。主要人物のキャラクターを際立たせて、読者にはっきりしたイメージを持ってもらうことだ。そこで個性の異なる3人の若い男たち(政次、亮吉、彦四郎)を登場させ、それぞれの成長物語にしようと考えたことは前述したが、じつはもう一ひねりした設定になっている。彼らと同じく「むじな長屋」という江戸庶民が暮らす〝賃貸アパート”で育った女の子(しほ)をメンバーに加えたのである。この工夫が物語に大きな効果をもたらしていく。
 
 物語の結末や、シリーズ全体のボリュームを決めずに書いていくのが佐伯スタイルなので、先の展開をどこまで考えていたかは不明だ。しかし、売れなければ1巻で終わる定めだった『密命』とは違い、『鎌倉河岸捕物控』がある程度の余裕を持って練られた作品なのは、第1巻『橘花の仇』の序章を読めばわかる。物語全体の予告編ではなく、第1巻のメインとなるしほの生い立ちに関係するエピソードが記されているのだ。
 
 これは意図的なもので、第2巻『政次、奔る』では政次、第3巻『御金座破り』では亮吉、第4巻『暴れ彦四郎』では彦四郎と、4人の若者をメインに据えてシリーズ序盤を進めていくことになる。各自のキャラクターを印象付けるために大きな構えを取ったからこそ、本作は全32巻に耐えうる長編シリーズになったのだと思う。
 
 武州川越藩で納戸役を務める村上田之助は、許婚の久保田早希と結婚の予定だったが、早希の美貌に惚れ込んだ上司の息子によって破談に追い込まれる。しかし、愛し合う二人は別れがたく、邪魔者は消えろと言わんばかりに襲い掛かってきた上司を田之助は咄嗟に切り殺し、早希と手に手を取って逃げていく――。
 
 ふたりの行先はどこだろう? 答えは次のページに書いてある。急に話が江戸に飛ぶからだ。こうして読者は「川越」という地名を頭の片隅に残しながら、本編の舞台となる寛政9年(1797年)の江戸へと誘われ、間を置かずに田之助と早希の子であるしほが登場。この時点で田之助と早希は亡くなっており、川越の出来事はいったん脇へ置き、本編のスタートとなるのだ。
 
 また、読んでいるうちにわかってくるのだが、しほが登場するまでのわずか数ページに主要な登場人物や重要な場所が出てきて全体の雰囲気までわかる配慮がなされているのも心憎い。細かい説明は読んでいけばわかるんだから、まずは顔見せ。佐伯流エンタメの特徴である〝じらしたりもったいぶったりしないで攻め込む”テンポの良さが存分に発揮されている。
 
〝チームむじな〟顔見世興行で「柔」「優」「純」「包」の個性が揃う
 
青春群像劇を担う4人を紹介していこう。
 
 紅一点のしほは、鎌倉河岸にある老舗酒問屋の豊島屋で働いている。すでに両親は亡く、裏長屋でひとり暮らしをしているが、持ち前の器量と気立ての良さで人気の看板娘だ。この豊島屋の常連に十手持ちの宗五郎親分たちがいて、幼なじみの亮吉が子分のひとりであることから、捕物の情報が伝えられたりする。そのうち、しほも無関係ではいられなくなるのだが、理由として用意されたのが〝似顔絵”という特技。絵心を持たせたことで、しほも他の3人と肩を並べて捕物に加わることができる設定にした。
 
 しほは誰からも「いい娘だね」とホメられるような穏やかな性格だが、こうすることで活躍の場が広がり、3人と行動を共にする機会も増える。いかつい男たちとは違って、場の空気をふんわりとさせてくれるしほの存在感を一言で表すとすれば「柔」だと思う。
 
 また、単なるマドンナ役でもない。男3人に女1人の組み合わせから、恋のさや当てや、しほをめぐるラブストーリーを想像していると簡単に裏切られてしまうが、エンタメ時代小説のメイン読者層であるオヤジたちはもやもやした恋愛小説など求めちゃいないので、逆にホッとしたのだった。
 
 そんな風だから、しほが誰と結ばれるのかという興味で読者を引っ張ることもしない。ここに書いてもまったく差し支えないだろう。もっとも支えを必要とする男・政次と結婚するのである。
 
 政次は呉服屋で働き、将来は自分の店を持つのを目標としていたが、宗五郎親分に幹部候補生としてスカウトされた若者だ。長身で男前、剣術修行にも励んで腕も上げてきた。捕物だから剣を使うことはないのだが、とにかく強い。それでいて、大店勤めの習慣から「ですます調」の言葉遣いなのがおもしろい。仕事のできる優等生で、誰にも優しく親切ていねい。似合う漢字は「優」で決まりだ。
 
「純」がふさわしく思えるお調子者の亮吉は、場に活気を与えてくれるムードメーカー。一足先に宗五郎親分の手先となっていたのに、すぐに幹部候補の政次に追い抜かれ、淡い恋心を抱いていたしほもあきらめることになる。親分が目をかけているのは政次だと知り、一時は複雑な感情を抱くが、そこから立ち直り、以前にも増して仲間たちとの連帯感を強めていく。亮吉を駆り立てるのは宗五郎親分への信頼と、仲間との友情。失敗もするけれど、熱い気持ちに胸を打たれることも多い。さらには事件の概略と解決へ至る流れをユーモアたっぷりに読者へ伝える役割も与えられ、本作では貴重な〝お笑い担当”となっている。
 
 そしてもう1人、大きな役割を果たすのが、子どものころから川が大好きで、自ら望んで船頭になった彦四郎。他の3人は親分の〝身内”であるのに対し、助っ人の形でしばしば捕物に参加してくる。性格はマイペース。つかず離れずの距離感がじつに良くて、政次も一目置いているフシがあるし、亮吉の苦悩や寂しさをいち早く見抜いてくれるのも頼もしい。4人の中で最も包容力があるので「包」をキーワードとしたい。この男には佐伯泰英自身も惚れ込んだようで、第4巻では描ききれなかった彦四郎の若さと情熱をはじけさせるべく、中盤にもうひと暴れさせる舞台を用意している。

道を探し、まっすぐ生きる純情な4人を応援したい
 
 しほと政次が結婚しようとも、幼なじみ4人の友情は固く結ばれ、ほつれをみせることがない。青春ドラマにありがちな、友人関係の亀裂や一時的な裏切りなどは本作には現れることがなく、どこまでもさわやかだ。4人は絵に描いたような善人として描かれている。しほの芯の強さや政次の卓越した強さ、悪者に食らいつく亮吉のしぶとさ、竿をぶん回して悪党をやっつける彦四郎のタフガイぶりも一貫して変わらず、劇的な変化は訪れない。
 
 おそらく、佐伯泰英にしてみれば、そんなヒマも必要もないのである。いや、全32巻の大長編シリーズだから紙幅はいくらでもあった。でも、書こうとはしなかった。つぎつぎに起こる事件を解決するのに忙しく、エンタメ小説の中でいかに彼らを成長させていくかを考えると、しほをめぐる恋のさや当てなどより優先すべきことがあったのだ。
 
 私は、彼ら4人をチームとして扱うことが重視されたのだと思う。
 
 町中の人に愛され、絵の才能が豊かだとしても、しほにできるのは捕物のサポートだ。次期親分に抜擢され、やたらと強く評判のいい政次は、ゆくゆくはいい親分になるとしても、いまのところ貫禄に欠けると言わざるを得ない。情に厚くて正義感が強く、喜怒哀楽を素直に表現できる亮吉にふさわしいのは名脇役のポジションだろう。彦四郎は船の上にいてこそ価値があり、中心に居座ると輝きを失いそうである。
 
 この世に完ぺきな人はいない。でも、力を合わせて事に当たれば、1+1を3にも4にもできるかもしれない。本作もそうだ。長編シリーズの主役を張れるヒーローではなく、ツボにはまれば能力を発揮するメンバーを集めたらどんな化学反応が起こせるかにチャレンジしている。その狙いは当たった。4人が合体して足りないところを補う、独特のチーム小説になっているのだ。
 
 政次のぶっきらぼうなところを亮吉のユーモアが支え、亮吉の頼りなさを彦四郎がカバーし、彦四郎の能力を政次が最大限に引き出すことで、ピンチをチャンスに変えて事件を解決。じわじわと能力と経験値を高め、青さを残しながら大人の社会に足を踏み入れていく。そして、そのすべてを穏やかに見守るしほの落ち着き。誰も突出させず、誰の影も薄くさせずに全編を書ききるのは並大抵なことではない。最後までチームとして前進すると決めていないと、なかなかできないことだ。
 
 とくに中盤以降は、チームのハーモニーが鉄壁の域に達し、爽快なほど。政次は親分の跡目を継ぎ、しほは母となり、亮吉は政次の右腕に、彦四郎は地域を代表する船頭に成長する。そうなっても、4人とも金持ちになったり、大出世して雲の上の人になったりせずに庶民のまま。むじな長屋で育った仲間たちは、それぞれの道を発見し、欲を張らずにまい進し、〝あの頃”の純情さを保ち続ける。
 
 そんな人間関係はめったにない? その通りだ。ずっとお互いの理解者であり続ける。生涯の友情を信じて疑わない。金や名誉より大事な仲間がいる。そういうことすら現代では難しく思えてしまう。
 
 だからこそ、著者は鉄道も車もテレビもインターネットもなく、人と人の距離が近かった江戸時代を舞台に、シンプルな青春群像劇を捕物帳と組み合わせて書こうとしたのではないだろうか。その目論見は的中し、本シリーズは代表作のひとつとなった。
 
 ページをめくればめくるほど、特定の誰かではなく、このチームを応援したくなるのだが、人気の理由はそれだけなのか。否である。佐伯作品のメイン読者は中高年層。若い4人の活躍だけで17年間も引っ張り切れるものじゃない。扇のかなめにどっしり座って全体を引き締める宗五郎親分あってこそ、4人は生き生きと動き回れるのだ。

※ 次回は、6/15(土)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)