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年森瑛「バッド入っても腹は減る」第3回

パスタを茹でながら、キャベツを煮込みながら、一冊の本をじっくり読む――。いちばん読書がはかどるのはキッチンだ。
いま最注目の新人作家による、おいしい読書エッセイ連載。毎月15日更新予定。

撮影 年森瑛

 かなり長いこと、背中から腰にかけての強烈な痛みと付き合っている。特にひどいのは椅子いすに座っているときで、雷が落ちたような痛みが脊椎せきついに走る。鎮痛薬を飲んでいてもまあまあ痛いので家ではほぼ寝たきりだ。
 病院は5軒回った。どの医者も初診は自信たっぷりに告げる。「レントゲンでは特に異常はないですから、すぐ治まりますよ」それから1ヶ月後には決まってこう言う。「うーん、MRIでも異常がないんだよねえ。薬を変えてみようか。運動はちゃんとしてるの。姿勢良く座ってる?」さらに1ヶ月後。「ストレスかもしれないので精神科に行ってみてはいかがでしょうか」くそっ!座ってるときだけ多めにかかるストレスって何だよ!
 アドレナリン効果もあり職場にはどうにか通えているものの、8時間のデスクワークを終えた頃には息も絶え絶えだ。帰りの電車では「いてえ」以外の思考がなく、身をよじりながら「痛え」を車内ドアになすりつけているうちに最寄り駅にたどり着く。
 端からみた私はいたって健康そうな若者だから、駅のエレベーターを利用するのは肩身が狭い。一時期はヘルプマークをつけていたが、そうすると座席を譲ってくれる人が現れるので申し訳なくてやめた。座っているほうがつらいというのはややこしい。
 先に並んでいた人たちを2回見送って、ようやくエレベーターに乗り込む。背後から歓声が上がった。「ちょっとベータあるじゃない!」「やだ私だいすきなのベータ」「乗ります! 乗りまぁす!」頭のてっぺんから爪先までふくふくモコモコになったばあさん3人組が飛び込んできた。むらさきベレー帽ばあさんのダウンとピンクパーマばあさんの毛皮に挟まれ、最後にパンパンのイケアの袋を抱えたばあさんがおケツで押し込んでくる。「はあもうごめんなさいね!」「すぐ降りるから! すぐね!」誰に話しかけてるんだか分からないがしゃべり続けるばあさんたちに、開閉ボタンを押していたおじさんが「へえ」と「はあ」が混じったような相づちで応えた。改札階に到着するとばあさんたちは宣言通りの爆速で降りていった。
 駅から家までの道のりにはでかい国道が横切っていて、信号待ちに数分を要する。それが青信号になった途端に、薄着のじいさん3人組が私を追い抜いた。「ハンバーグ食べたかったねえ~」「いやあ~残念だっ」「ざんねんっ、ざんねんっ」横並びになって互いの肩をどつき合いながら横断歩道をずんずん歩いて行く。「たぁべたかったなあっ」どすん。「うるせいやいっ」ぼすん。なんだなんだ。何をそんなにイチャイチャすることがあるんだ。

 こういう、生身の人間からにじみ出る愉快さを言葉にするのはいつだって困難だと思う。特に「老人」とか「子ども」みたいな自分から遠い存在は、気を抜くとすぐにハリボテのキャラクターじみた存在になる。だから、私小説『金は払う、冒険は愉快だ』(川井俊夫、素粒社)のじじばば描写の巧みさを改めて思う。
 語り手は関西のどこかで古物商をしている男だ。宣伝もしていない場末の古物商を頼りにするのは、ゴミ屋敷暮らしのジジイに元ヤクザのジジイ、金持ちの死にかけジジイに詐欺師のジジイなど、本作はくせ者ジジイ(ときどきババア)の博覧会だ。語り手は老若男女すべてに悪態を飛ばしながらも請け負った仕事をまっとうする。
 繰り出すエピソードの構成も優れているが、まず古物商という仕事の説明に冗長さがなくて良い。語り手が大量の茶器や家具をどんどん仕分けて査定していく、そのスピード感のままに引っ張って読ませてくれる。
 語り手は粗雑さと誠実さを兼ね備えている人物で、ハードボイルドでありながらいわゆる「男のロマン」とは一線を画す、繊細な奥行きがある。エッセイではなく私小説と銘打たれているからできる書き方だと思う。
 よろよろと帰宅。痛みを伴う生活の中で一番つらいのは食事だった。座るのもつらいが立ち続けるのもつらく、はじめは寝ながら食パンとソーセージをかじっていた。当然ながら栄養バランスが偏るので体調を崩しがちになる。それで今は、少しでもマシな具合のときに炊き込みご飯を大量生産している。
 壁付けのフックに引っかけている、家にある中で一番大きいフライパンを手に取る。私はいつもこれで米を炊いている。炊飯器なんて文明の利器はない。何か信念があるとかではなく、ひとり暮らしを始めたときの家のキッチンが狭すぎて置き場がなかっただけだ。
 まずフライパンの半分くらいまで無洗米を入れる。鉄分補給のための雑穀米は片手で掴めるくらいの量を混ぜておく。ひたひたになるまで水を入れて放置。身体が限界近いので横になる。
 『金は払う、冒険は愉快だ』は連作短編の構成なので、具合が悪いときでも休みを入れつつ読みやすい。中盤から、語り手は過去について話し始める。妻との出会い。古物商を営んでいる経緯。どの話も、錆びついた小銭たちのなかで光る、磨き抜かれた10円玉みたいな輝きを放っている。私はもうすっかり本作に夢中だった。掲載されているエピソードはどれも面白いのだが、中でも好きなのは4話目だ。ある日、店の前に電子レンジを抱えたばあさんが現れる。語り手は思う。

俺は骨董屋だ。電子レンジは買わない。なのに電子レンジを両手で抱えた婆さんが店の前に立ってる。またイカれたクソ野郎の登場だ。いい加減にしろ。俺の人生をなんだと思っていやがる。嫌な予感しかしないが、いざとなったら婆さんを殴り倒そう。そう心に決めて入口のドアを内側から開ける。 (『金は払う、冒険は愉快だ』P.52)

 続きは素粒社のnoteでも無料公開されているのでぜひ読んで欲しい。私はこのエピソードがいっとう好きだ。血の通った人間の、おかしみとあたたかさがぎゅっと詰まっている。
 まだまだ横になっていたいが、水につけすぎるとおかゆ化してしまうので仕方なく起き上がった。相変わらず立ち続ける余力はない。
 冷蔵庫には下処理だけ済ませた食材をいくつかタッパーで常備している。今回は細切れにした鶏もも肉と、ピーラーでかつらきにしてからザク切りにしたにんじんを使うことにした。米の上に肉、にんじんの順番で敷き詰めて、料理酒、みりん、顆粒だし、みそ、めんつゆを入れて蓋をして弱火にかける。しばらくして水かさが減ってフライパンの中に泡が立つようになったら、強火にかけて残った水気を飛ばす。火を消して、蓋をしたまま10分ほど蒸らしたあと、常備している大葉とクルミのみじん切りをたっぷり入れてよく混ぜる。これで炊き込みご飯の完成、なの、だが、もう限界だ。立ってられん。最後の気力でラップにいくらか包んでベッドに待避する。背中がぎりぎりと絞られたように痛い。早く食べて薬を飲めばいいと分かっているのに、炊きたてのごはんが熱すぎて口に含むことができない。身体が痛いというのは本当に厄介だ。思考を痛みが圧迫するせいで、普段なら考えないようなことを考えたりしてしまう。

 本当に、いつになったら治るんだこれは、このさき薬も効かなくなったらどうすりゃいいんだ、病名がなくても働けなくなったら生活保護は受給できるものなんだろうか、こうしている間にもご飯はカピカピになってるだろうしフライパンにもあのキモい薄皮がへばりついてるだろうな、こんなんじゃ将来イカしたババアになれそうもない、エレベーターばあさんズとハンバーグじいさんズがうらやましい、だって痛え痛えと言っているうちにババアになったらそれはイカしたババアじゃなくて腰がイカれてしまったババアじゃん、そんなの嫌だ、しかし痛い、もう何をしても痛い、痛いよ〜!
 うつぶせになっておにぎりを背中に載せてみる。あったかい。少し気が紛れる。
 とにかく食べよう。そして薬を飲もう。薬が効いてきたら、炊き込みご飯を小分けしてラップにくるんで冷凍しよう。フライパンは水につけておけばカピカピも何とかなる。よし。大丈夫。まだまだ大丈夫。
 背中からおにぎりを取って、ラップをはがした。

年森瑛(としもり・あきら)
1994年生まれ。作家。『N/A』で第127回文學界新人賞を受賞し、デビュー。

見出し画像デザイン/撮影 高原真吾