見出し画像

麻見和史『殺意の輪郭 猟奇殺人捜査ファイル』第23回


 広瀬はうなずきながらメモを見ている。彼女にも状況の整理ができたらしい。

 メモの一部を指差しながら、尾崎は言った。

「②と③と⑤と⑥の写真は多いから、手島の目的はこれらを撮影することだったと考えられる。しかし現在、一連の事件現場となっているのは①と④と⑦だ。どうしてこうなったかという疑問が生じるわけだが……」

「事件で廃屋が使われた理由は、想像がつきますよね」藪内が言った。「死体遺棄をするには、廃屋のほうが便利だからでしょう」

「藪ちゃんの言うとおりだ」尾崎はうなずいた。「①④⑦の近くにある②③⑥が、現在どうなっているかというと……全部はわからないが、少なくとも③、すなわち三好で貸店舗の看板があった建物は、現在、空き家ではなくなっている。ほかの②や⑥も、今はもう賃貸物件や売物件ではなくなってしまったんじゃないだろうか」

「つまり、こういうことですね」藪内は真剣な顔で尾崎を見た。「手島は何らかの理由で空き家などを捜していた。②③⑥が見つかったので、それらの写真をたくさん撮ったと。……あ、⑤もそうなのかな」

「そして今年になって、何者かがそれらの空き家を使おうとしたんだろう。ところが現在②③⑥は空き家ではなくなっていた。それで②③⑥の近くにあった空き家や廃屋を新たに探し、①④⑦を死体遺棄の現場に選んだ……」

 ちょっといいかしら、と広瀬が言った。

「そもそも、なぜ犯人は②③⑥で死体遺棄をしたかったのかしら。その理由がわからない」

「こだわりがあったんだろうな。忘れられない場所だったとか、誰かとの約束があったとか」

 思いつきで口にしたことだったが、誰かとの約束というのは、少し考えてみる価値がありそうな気がした。

「犯人は恨みを持って犯行を繰り返しているはずですよね」藪内が尋ねてきた。「そして、奴は相当頭の切れる人間です。すべてを計画的に進めてきている。そこが弱点になるかもしれません」

「どういうことだ?」

「綿密な計画を立てる人間は、突発的なトラブルに弱いってことです」

 たしかに、そういう部分はあるかもしれない。犯人を追い詰めることができれば、そこで相手を動揺させ、警察が優位に立つ手段もあるのではないか。そう思えてきた。

「ひとつ気になるんだけれど……」

 神妙な顔をして広瀬が言った。何だ、と尾崎は彼女に尋ねる。

「犯人がこれらの写真を意識して、今回の事件現場を決めたと仮定しましょうか。そうすると、このメモに書かれている五つ目の家──⑤の風間冷機の近くでも、事件を起こそうとするんじゃないかしら。正確には、風間冷機の近くにある廃屋などね」

 ぎくりとして尾崎は広瀬の顔を見つめた。彼女の言ったことは、何か不吉な予言のように感じられる。決して起こってほしくないことだが、これまでの流れを考えると、あり得ない話ではなさそうだ。

「第四の事件が起こるということか?」

「私はそう思う。尾崎くんはどう?」

「俺は……」

 言いかけて、尾崎は言葉を呑み込んでしまった。腕組みをして唸る。

 嫌な予感がするのは事実だった。

「その風間冷機という会社がどこにあるか、わかるか?」

 尾崎が尋ねると、藪内はパソコンを操作し始めた。ネット検索をしているようだ。うしろから尾崎と広瀬はパソコンの画面を覗き込む。藪内は難しい顔をしてキーボードを叩き、タッチパッドに指を走らせている。

 五分ほどのち、藪内はこちらを振り返った。何かを見つけたという表情だ。

「尾崎さん、わかりましたよ。風間冷機というのは業務用冷凍庫、冷蔵庫などを販売する会社です。いくつか店舗がありますが、隣に写っている文具店がヒントになりました。写真の風間冷機はもうありませんが、文具店は今も営業中です。場所は江戸川区平井です」

「もし犯人が第四の事件を起こすなら、平井のどこかということかな」

「おそらくね。その地域に廃屋があったら、怪しいですよ」

 わかった、と答えて、尾崎はポケットからスマホを取り出した。通話履歴から班長の番号を選んで架電する。しばらく呼び出し音が続いたあと、五コール目で相手が出た。

「はい、加治山……」

「お疲れさまです、尾崎です。今どちらですか?」

「捜査本部にいる。片岡さんと話していたところだ」

「ちょうどよかった。俺は下のフロアの鑑識係にいるんですが、今から報告に行ってもいいですか。犯人は第四の事件を計画しているかもしれません」

 加治山は息を呑んだようだ。緊張した声で彼は尋ねてきた。

「……何か、つかんだのか」

「まだはっきりしていません。ですが、犯人のこだわりというか、行動のベースになっているものが見えた気がします」

「わかった。片岡さんにも聞いてもらおう」

「すぐに行きます」

 電話を切って、尾崎は広瀬のほうに目を向けた。彼女は表情を引き締めて、こくりとうなずく。事情は察したという様子だ。

 藪内に礼を言ってから廊下に出る。尾崎と広瀬はエレベーターホールへと急いだ。



 コンビニエンスストアのそばでタクシーを停めてもらった。

 料金を払い、レシートをもらって広瀬が先に降りる。続いて尾崎も車の外に出た。

 江戸川区平井にある住宅街の一画だ。手元の地図を見ながら、尾崎と広瀬は路地に入っていった。

 四十分ほど前まで、尾崎たちは捜査本部で打ち合わせをしていた。過去の写真の分析から、犯人は第四の事件を計画しているのではないかと思われる。その現場は平井にあるのではないか。今すぐ不審な廃屋を探して、犯人を見つけるべきではないか──。

 尾崎たちの報告と進言により、捜査一課・片岡係長は上司と相談し、捜索を行うことを決断した。地図上で平井をいくつかの地区に分け、至急、刑事たちに捜索活動を実施させる。廃墟、廃屋を見つけた場合は、可能なら内部に異状がないか調べる。もし不審者と遭遇した場合は、すみやかに身柄を確保する。その人物が一連の事件の犯人かもしれないからだ。

 平井で何かが起こっているという確証はない。しかし、これが犯人を逮捕できるチャンスだというのは、幹部たちもよく理解してくれていた。だからこそ、急遽この捜索活動が開始されたのだ。

 ただ、現在すでに刑事たちは自分のスケジュールに従って、聞き込みなどを行っている最中だ。遠方にいる者を呼び戻すのは難しいから、取り急ぎ平井に行ける人数は十名ほどだということだった。

 やがて捜索の分担地区が決まり、活動開始となった。深川署で用意できる警察車両は限られているため、それらは捜査一課に譲って、尾崎と広瀬はタクシーで移動したというわけだ。

「風間冷機は、あの隣にあったはずだ」

 尾崎は前方を指差した。写真に写っていたものと同じ文具店がある。五年前はその隣に冷凍庫、冷蔵庫の販売店があったはずだが、現在は駐車場になっていた。

「もし犯人が風間冷機にこだわっているのなら、今回その近くにある廃屋に目をつけた可能性がある。そういうことだな?」

「ええ、そこを犯行現場にしたんじゃないかと思う」

「近くに不審な建物がないか、順番に見ていこう」

 尾崎はあらためて地図を見た。自分たちの捜索エリアはここから西のほうの区画だ。路地を一本ずつ調べていくべきだろう。

 大森事件のときは犯人が送ってきたメールに基づいて捜索したが、今回は違う。警察が調べた情報に従って、事件現場を探すのだ。犯人は警察が平井に来ていることをまだ知らない。だとすれば、油断している犯人を逮捕することもできるのではないか。

 今まで奴はさんざん警察を振り回してきた。右往左往する刑事たちをどこかから見て、あざ笑っていたのではないだろうか。だが今、尾崎たちは初めて犯人を出し抜くことができるかもしれない。そのためには迅速に、そして慎重に行動する必要がある。

 路地を歩きながら、尾崎と広瀬は周囲に目を配った。道の両側に並ぶのはアパートや個人の住宅だ。古い木造の家もあれば、最近出来たらしい三階建てもある。どの家にも庭があって、水を撒くためのホースや園芸用品が置かれていた。中には、バーベキューができそうなテーブルセットが置かれた家もある。

 落ち着いた日常が感じられる光景だった。だがその日常の中に、忌むべき非日常が紛れている可能性がある。人々の暮らしのすぐそばで、猟奇的な犯罪が行われているかもしれないのだ。その犯行は誰にも知られないよう、静かに、密やかに進められているのではないか。

 一軒、古びた民家が見つかった。小さな看板が出ていて、どうやら個人でピアノ教室をやっていたらしい。だが庭は荒れ放題で、廃屋であることは明らかだった。

 尾崎は塀の外から建物を観察した。よく見ると玄関の蝶番が壊れているようだ。ドアが枠からずれて、外れそうになっている。自然に壊れたものとは思えなかった。誰かが破壊して、中に侵入したのではないだろうか。

 広瀬に目配せをしたあと、尾崎は両手に手袋を嵌めた。彼女もそれにならう。

 門扉を開けて敷地に入った。上の蝶番は壊れていたが、下のひとつでなんとかドアは外れずにいるようだ。そっと近づき、ノブをつかんでみる。ぐらぐらするドアは、ぎぎぎと嫌な音を立てて開いた。

 屋内を覗き込むと、薄暗い廊下が奥へと続いていた。カビと埃のにおいがする。思ったとおり、誰も住んではいないようだ。

「こんにちは」尾崎は建物の中へ声をかけた。「警察です。ドアが壊れていますが、大丈夫ですか?」

 じっと耳を澄ましてみたが、返事はない。

「すみませんが、中を確認させてください」

 返事がないのを承知で尾崎は言った。それから、中に入ることにした。かなり汚れているから、土足のまま上がらせてもらう。

 廊下には埃と砂が積もっていて、歩くとじゃりじゃりした感触が靴の裏から伝わってきた。たまに、みしみしと床板が鳴る。廊下に面したいくつかの部屋から、わずかな明かりが漏れていた。

 部屋を覗くと、窓から陽光が射しているのがわかった。玄関のすぐ隣にあるのは和室だ。家具は箪笥ひとつだけで、ほかには新聞紙が落ちているだけだった。

 その隣も畳敷きの部屋で、ここには座卓があった。しかし人の姿はやはりない。

 廊下の突き当りにガラスの引き戸があった。構造から考えて、この向こうは台所だろう。尾崎は引き戸に手をかけ、ゆっくりと開けた。

 予想は当たっていた。流しやガス台が設置された台所だ。部屋の中央にテーブルがある。その上を見て、尾崎は眉をひそめた。黒いスプレーか何かで大きく《×》というマークが書いてあったのだ。

 これはいったい何だろう。尾崎は広瀬と顔を見合わせる。彼女も首をかしげていた。

 一階、二階のすべての部屋を確認したが、特に異状はなかった。ここは、犯人が利用した家ではないようだ。

「この《×》マーク……」広瀬がつぶやいた。「ここは駄目だという印かしら」

「駄目というのは?」

「使えない、という意味。事件を起こす現場には適さない、ということね。仲間に知らせようとしたのか、あるいは犯人がただ、ヤケになって書いたのかもしれないけれど」

 そう言われると、そういうふうにも見える。せっかく探した廃屋だが、ドアが壊れてしまったし、諦めるしかないという気持ちで印を書き殴ったのかもしれない。

 廃屋から出て、外れかけたドアを元どおり閉める。

 再び尾崎たちは住宅街を歩きだした。

「そうだ、思い出したよ」尾崎は広瀬に話しかけた。「捜査の二日目に、飛田という男性に会っただろう。たしか、浅草橋のカフェで話を聞いたんだが……」

「もちろん覚えているわ。手島と同じクマダ運輸の配送を請け負っていた人物ね。今はビル清掃の仕事をしているとか」

「彼が話していたじゃないか。手島は兄貴分の郷田に頼まれて、町を見て回っていたって」

「ええ、そうだった」広瀬は右手の指を額に押し当てた。「『何か大事な計画があるんで、その下調べだとか言ってね』と話していたわ。『まあ、詳しいことは教えてくれなかったんですが』とも」

 相変わらず並み外れた記憶力だ、と尾崎は感心する。

「俺の考えはこうだ。五年前、手島は郷田に命令されて、都内の空き家や廃屋を探していた。一軒一軒写真を撮り、これは使えそうだという場所を見つけると、さらに入念に撮影した。大森の賃貸物件、三好の貸店舗、赤羽の売物件などだ。郷田が何のために空き家や廃屋を探させたのかはわからないが、犯罪がらみなのは間違いないだろう」

「ところが今、それらの建物はもう空き家ではない。だからその近くで事件が起こっているわけね。かつて手島が集めた情報を参考にした、という感じかしら」

「できることなら、多数撮影されていた空き家で事件を起こしたかったんじゃないかな。それができないから、近くで廃屋を探したんだと思う」

 犯人は強い執念をもって事件現場を選び出したわけだ。そうすることで何者かに意趣返しができるのだろうか。あるいは、誰かに何かを伝えることができるのか。詳しいことは不明だが、わかる人間にはわかるメッセージなのかもしれない。

 角を曲がって次の道を調べ始めた。

 百メートルほど進んだところで、尾崎は前方を指差した。広瀬もその建物に気づいたようだ。

「これは廃屋というか……空き店舗だな」

 尾崎が見つけたのはスーパーマーケットの建物だった。規模としてはコンビニエンスストア四軒分ぐらいだろうか。掲示板に閉店セールのポスターやチラシが貼ってある。精肉、鮮魚、青果をはじめとして、一通りの商品は揃っていたようだ。

 だが今、その店は営業していなかった。以前はさまざまな商品が載っていたであろう店頭のワゴンも、すっかり空になっている。敷地の一角には段ボール箱やビールケース、商品の運搬に使うパレットなどが放置されていた。

 白手袋を嵌めて、尾崎たちは正面の出入り口に向かった。

 窓ガラスに《閉店のお知らせ》という貼り紙があった。営業終了となったのは、二週間ほど前らしい。

 貼り紙の横からそっと中を覗いてみた。思ったとおり内部に明かりは点いていないが、窓から射し込む陽光のおかげで真っ暗ではないようだ。

「……尾崎くん」

 尾崎は声のしたほうに目をやった。

 広瀬は正面出入り口のそばにいた。営業していたころは自然に開いていたはずの自動ドアだが、今は人が近づいても反応しない。電気が来ていないから当然だと尾崎が思っていると、広瀬はドアの隙間に指をかけ、両手に力を込めた。ゆっくりとドアが左右に動いていく。

「開くのか、それ」

「ガラスに手の跡が付いていたのよ。誰かが侵入したんだと思う」

 彼女は唸りながらドアを動かしていった。じきに、人ひとり通れるぐらいの隙間ができた。ふう、と広瀬は息をつく。

「どうする?」

「もちろん店の中を調べる」

「わかった。行きましょう。油断しないでよ」

「広瀬もな」

 そう言ってから、尾崎はあらためて店内を覗き込んだ。薄暗い場所に向かって声をかける。

「こんにちは、警察です。誰かが侵入した可能性があります。安全確認をさせていただきます」

 しばらく反応を待った。だが、中はしんとしていて返事はない。

 広瀬に目配せをしてから、尾崎はドアの隙間を抜けて店内に入った。

 薄暗い場所だが、目が慣れると辺りの様子がわかってきた。食品類を並べる陳列棚は、営業していたころのままらしく、きれいに残っていた。ただ、かつてぎっしり収められていたはずの商品は撤去されていて、棚はすべて空だ。

 以前レジが並んでいたと思われる場所を、尾崎たちはゆっくり進んでいった。正面出入り口に対して平行に造られている、横方向の通路だ。ここを歩きながら、縦方向に長い売り場通路をひとつずつ覗き込んでいった。一番奥の開けた場所までは十五メートルほどある。すっかり見通せるから、何か異状があればすぐわかるはずだ。

 四本目の売り場通路を見て、尾崎は足を止めた。

 床に濃い赤茶色の染みがある。尾崎は眉をひそめた。あまり明るくはないため、はっきりしないが、もしかしたらあれは人の血ではないのか?

 尾崎は縦通路に入った。左右にはスチール製の商品陳列棚がある。息を詰め、慎重に進んでいった。床の染みが徐々に近づいてくる。あと五メートル、三メートル、一メートル。

 腰を屈めて、その染みを観察してみた。これは決して塗料などではない。血液──おそらくは人間の血だ。

 腕をつつかれて尾崎は顔を上げた。広瀬のほうを向くと、彼女は前方の床を指差していた。今見ている血痕の一・五メートルほど先に、もう少し小さな血の痕があった。そこから先にも、血が滴った痕が続いている。

 どうやら負傷者はこの通路を奥へ向かったようだ。その移動の途中、傷口からぽたぽたと血が垂れ落ちたのだろう。

 広瀬にハンドサインを出してから、尾崎は血痕を追って歩きだした。足音を立てないよう気をつけて進んでいく。移動する間も、辺りへの注意を払い続けた。

※ 次回は、5/24(金)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)