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親は子どもを産むかどうかを選択できるが、子どもの方は親を選べない。――中山七里「特殊清掃人」第17回

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孤独死した〈イネ・ライジング〉の社長・。彼と交際していた三人の部下たちが去ったあとに……。


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 ダイニングの隣にある脱衣所から顔を出したのはいいくぼだった。

「長々と立ち聞きするような真似をさせて悪かったね」

「いえ、さんの話を聞いていたらすごくショックを受けちゃって」

さんが家庭や家族に恵まれなかったって件かい」

「わたし時々勉強を教えてもらってたんですけど、そんな話一度も聞かされてなかったです」

「自ら進んで話したいような内容じゃないからなあ」

 麻理子はこうべを垂れて、束の間うつむいていた。

「良ければ、さんがどんな子ども時代を送ったのか教えてくれませんか」

 伊根の母親と内縁の夫が子どもを衰弱死させた事件は新聞でも大きく報道されたので、今更プライバシーの侵害にはあたらないだろう。加えては〈イネ・ライジング〉の社員とはいささか事情が異なる。

 五百旗頭から過去の事件を聞かされた麻理子はみるみるうちに深刻な面持ちとなる。

「ひどい」

「確かになあ。親は子どもを産むかどうかを選択できるが、子どもの方は親を選べない。経済的な問題もあるんだろうが、それ以上にどうしても親に向かないヤツのもとに生まれ落ちる悲劇がある。そうさ、子どもにとっちゃあ悲劇としか言いようがない。その悲劇とどう立ち向かい、どんな大人になるかはそいつの問題だけどな」

「わたしに皆さんとの話を聞かせてくれたのはどうしてなんですか」

「形見分けについて経緯を知ってほしかったからさ。何の説明もなしじゃ麻里子ちゃんも納得できなかったろう」

「正直、わたしも伊根さんの形見を分けてほしかったです」

「麻里子ちゃんは、もうもらっているじゃないか。伊根さんのスマホを」

「え。伊根さんのスマホは会社の矢野さんという人が引き取ったんじゃないですか」

「あれは会社用だよ。伊根さんはそれ以外にプライベート用にもう一台所有していたのさ。だからあのスマホには麻理子ちゃんとの交信記録もなかった」

 麻理子の目が見開かれるが、五百旗頭は構わず続ける。

「二台目のスマホの存在を知ったのは、死後に発送されてきた通信業者の請求書を拝見させてもらったからだ。請求書の内訳は通信代が一台ずつに併記されていた。しかし現場で見つかったスマホは一台きり。じゃあ、もう一台のスマホはどこに消えたのか。いや、消えたのはスマホだけじゃない。充電器もだ。携帯端末と充電器はそれでワンペアみたいなものだから、仮に所有しているスマホが一台きりであっても、充電器もあって当然だ。それが見当たらないのは何故だ」

 五百旗頭が現場で懸命に探し回っていたものこそ、その充電器だった。スマートフォンは電池の切れが早く、出勤することが珍しい伊根が自宅に充電器を置いておかない理由は思いつかない。

「現場の様子もどこか変だった。ウチで働いている女性社員の言葉を借りれば、『何股もかけている癖に、それを知られたら困る人がいきなり訪問してきたので見える範囲で彼女のいる気配を消しにかかったけど、慌てていたので中途半端な隠し方になった』ような状況だったんだよ。そもそも現場に放置してあったスマホは自動的にロックするモードにはなってなかった。伊根さんが自分でロックしたのさ。つまりそれは、会社用スマホの中身を覗かれたくない人物が部屋にやってきたことを意味する」

「それがわたしだと言うんですか」

「玄関は鍵が掛かっていた。施錠できるのは鍵を持った者だけだが、マスターキーも合鍵も伊根さんが持っている。となれば誰かコピーを作った者がいる。コピーを作れるのは大元の鍵を所有していたオーナーかその家族くらいのものだろう」

 麻里子はすっかり黙り込んでしまった。

「プライベート用のスマホはどこに消えたのか。浴室内には防水コンセントが設えてあった。伊根さんはそのコンセントで充電がてらスマホを眺めていたのじゃないか。そして何かの拍子に充電ケーブルごと湯船に沈めば過大電流が流れて伊根さんは感電しちまう。感電すれば皮膚に熱傷が残るが、そのまま熱湯に浸されていれば組織と一緒に溶けちまう、痕跡は残らねえ。誰かがその場にいたとしても、立ち去って施錠しちまえば事故死にしか見えない」

「証拠はあるんですか」

「ないよ」

 五百旗頭はあっさり言ってのける。

「ただし、部屋の中からは本人以外の不明毛髪や指紋が大量に採取されている。その中から麻里子ちゃんのものが出てきたら、どう弁解するつもりさ。まだある。日常的に使用するマスターキーは経年変化が生じている。作製した時期にもよるがコピーキーとはわずかに形状が異なっている。だからコピーキーで施錠すれば、鍵穴に新しい傷ができる。それこそ顕微鏡でなけりゃ確認できないくらいの微細な傷だけどな。警察が調べる気になれば、あっという間さ」

 二人の間に沈黙が落ちる。先に破ったのは麻里子の方だった。

「わたしを警察に突き出すんですか」

「そいつは俺の仕事じゃねえなあ。俺はただの掃除のオジサンだ。ただなあ、秘密ってヤツは自ら暴かれたいっていう妙な性質がある。黙っていると内圧が高くなって胸が苦しくなってくる。そうならないうちに全部吐き出しちまった方が、ずっと楽にはなるだろうなあ」

「会社の人たちと付き合っていたなんて全然知らなかった」

 麻里子は俯いたまま語り始める。

「家庭教師みたいなことをしてもらっている頃から伊根さんと付き合っていました。あの日は驚かそうとして何の約束もなしに部屋を訪れたんです」

「コピーキーはいつ作ったんだい」

「まだ伊根さんが部屋を借りる前、マスターキーは家で保管していました。お母さんとけんした時の避難所にするため、こっそり作っておいたんです」

「いきなり鍵を開けて入ってこられたら、どんな男だってびっくり仰天しちまう」

「いきなり訪れても構わないような間柄だったので。でも部屋の中を見た瞬間、他の女性が寝泊まりしている気配を感じて。伊根さんを問い詰めたら、あっさり他に三人も股にかけていると白状したんです。わたしが怒り出すとうるさそうにスマホを持って浴室に逃げていきました。きっとそこまでは追ってこないと考えたんでしょう」

 当時を思い出したのか、麻理子は自分の肩を抱いて震え始めた。

「わたしが強引に浴室に入ると、さすがに伊根さんも怒り出しました。口論になって……腹立ち紛れに充電ケーブルごとスマホを叩き落としたんです。そうしたら湯船の中に落ちて……一瞬でした」

 後は説明を聞かずとも見当がつく。絶命した伊根を見た麻理子は、急に怖くなって部屋から出る。伊根の死体は追い焚き機能で煮られ続け、遂には分解されて骨しか残らなくなるという寸法だ。

「わたし、どうしたらいいでしょうか」

「自分で決めるんだね。ただ、もし警察に出頭したいってんなら、俺がついていってやるよ」

 麻里子は両手で自分の肩を抱きながら部屋を出ていった。

 彼女の後ろ姿を眺めながら、五百旗頭は最後に残った疑問について考えていた。

 どうして伊根は、麻里子にだけ他の女とも付き合っていたのを隠していたのだろうか。オーナーの照子に露見してマンションを追い出されるのを危惧していたのだろうか。

 違う。伊根のような収入があれば別のマンションを探せば済む話ではないか。

 たった一つ思いついた解答がある。

 麻里子に夢を見させたのは、伊根なりの気遣いだったのかもしれない。家族を信じず、家庭を拒否し続けた男だからずいぶん歪んではいるものの、まだ高校生の麻里子に現実を教えないのが伊根の示した潔癖さだったのかもしれない。

 ワインセラーを眺めながら、五百旗頭は問うてみる。

 なあ、伊根さんよ。

 これでよかったのかい。      

前回(第16回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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