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麻見和史『殺意の輪郭 猟奇殺人捜査ファイル』第26回


「五年前、手島恭介が郷田裕治の命令を受けて、廃屋などを探していたことがわかっている。今回おまえは手島が見つけた建物の近くで、あらためて廃屋を探し、死体遺棄に使った。郷田が起こした誘拐事件への復讐だったからだな。自分だけのこだわりでもあっただろうし、あわよくば警察に過去の事件を思い出させようとしたのか」

「そうですね……。五年前の事件と結びつけられる刑事がいれば、たいしたものだと思いました。まあ結局、誰ひとり気づかなかったようですが」

 悔しいが、彼の言うとおりだ。尾崎と広瀬は手島のスマホの写真を見て、場所がこの事件と関係するのではないかと想像した。その発想自体は正しかった。しかし誘拐事件との関連までは、最後まで気づかなかった。

「五年前、郷田は営利誘拐を計画したんです。奴が目をつけた資産家の子供は四人。彼らはそれぞれ三好、赤羽、大森、平井に住んでいた。それらの家から少し離れた場所にアジトを用意し、子供を監禁するというのが郷田の考えでした。それで手島はその四つの町で、空き家や廃屋などを四カ所探したんです」

 そうだ。五年前、三好のアパート付近で、手島が民家の庭を覗き込んでいるところが目撃されている。それらの家の写真が、古いスマホの中に残っていたわけだ。

「四人の候補者のうち、実際に誘拐されたのが平井に住んでいた、おまえの息子だったわけか」

「拉致するときの難易度や、アジトまでの移動経路、親への連絡方法などを考えた結果、裕介が選ばれたんでしょう。手島いわく、自分は空き家の情報を伝えただけで、誘拐の手伝いはしていない。子供がどこに閉じ込められたかも知らない、ということでした。奴の話を聞いて、私は怒りを抑えるのに必死でした。……だって四分の一の確率ですよ。ほかの子供が誘拐されていたらよかったのに、と何度思ったことか」

 北野は顔を歪めていた。ほかの誰かの不幸を願うわけではないだろう。だが自分の子供とよその子供を比べたら、どちらが大事かは決まっている。

「郷田は三月六日の夕方、裕介をさらって平井の元風間冷機の販売店に監禁しました。通電していない、古い冷蔵庫の中にね。そのあと夜になって錦糸町へ行き、飲み屋に入ったんです」

「誘拐事件の最中に?」

 驚いて尾崎は尋ねた。犯行の途中で飲みに行く人間などいるだろうか、という疑問が湧く。そんな尾崎を見て、北野は深くうなずいた。

「奴はヤミ金の人間から金を返すよう、厳しく催促されていたそうです。三月六日、誘拐事件を起こしている最中にも連絡があり、今日返さなければ強硬手段に出ると脅された。それで急遽、手島から金を借りて錦糸町へ行き、夜十時半ごろヤミ金業者に金を返したんです。用事が済んで少しほっとしたのか、馴染みの居酒屋に入って三十分だけ飲み食いをした。そしてその帰りに……」

「店を出て、坂本さんとトラブルになったわけか」

 その夜の事件については尾崎たちもよく知っている。坂本は左脚を負傷し、警察官から逃げた郷田は車に撥ねられて死亡して──。

 ここで尾崎ははっとした。

「裕介くんはそのまま冷蔵庫の中に?」

「そうですよ!」北野は唇を震わせながら言った。「あの子には何の罪もなかった。それなのに、真っ暗な部屋に置かれた冷蔵庫に閉じ込められた。誘拐犯は出かけたまま戻ってこない。水も食べ物もない中、あの子は誰かが助けに来てくれるのを待っていた。何日も何日も……。あの子の苦しみが想像できますか? わずかにドアが開いていたから呼吸はできた。でも冷蔵庫のドアには鎖がかけられていた。絶対に開かないように。……だからですよ。私は鎖を事件現場に残すことにしたんだ」

 そばで広瀬が身じろぎをするのがわかった。彼女は唇を嚙んでいる。

 尾崎もまた黙り込んでいた。閉じ込められた少年の気持ちを思うと、自分まで息苦しくなってくるようだった。

「平井事件の裏をとるため、私は裕介が誘拐されたと思われる現場を調べました。あの子は卓球部に入っていました。その活動が終わってから学校を出たんです」

「……そういえば元半グレの少年が話していたな。おまえと食事をして、卓球の話題で盛り上がったと。息子さんも卓球をやっていたからか」

「私は郷田が車で移動したルートをたどり、冷蔵庫のあった風間冷機の跡地に行って花を供えました。調査を続けながら、涙を流さずにはいられませんでした。……郷田はもう死んでいるから復讐のしようがありません。でも手島は生きている。奴は郷田と同罪だ、と私は思いました。三日間考え続けたあと、私は手島を殺そうと決意しました。それで、今から一年半ほど前だったか、あらためて手島から平井事件について詳しく聞いたんです。私が根掘り葉掘り尋ねたせいでしょうか、途中で手島は何か勘づいたようで、話を切り上げてしまったんですが……」

 あ、と広瀬が声を上げた。どうした、と尾崎は尋ねる。

「手島の部屋のノートにメモがあったでしょう」広瀬は額に指先を当てて記憶をたどっていた。「『オレは関係ない! タイミングが悪い! 責任を取れ!』という内容。手島は直接誘拐には関わっていない。でも、北野が事件の真相を探っていることを知って、驚いたんだと思う。交通事故死したとき、郷田は誘拐事件を起こしている最中だった、ということに気づいたのよ。郷田の死はまさにタイミングが悪かった。自分は調査の手伝いをしただけなのに、恨まれてはたまらない、と手島は思った。だから北野という男が何者であるかに気づいたとき、『オレは関係ない!』『責任を取れ!』と郷田への憤りをノートに書き殴った……」

 なるほど、と尾崎はつぶやく。やはり広瀬の記憶力は優れている。

 北野は話の続きに戻った。

「手島殺しを決意したあと、私はあと三人、始末すべき人間がいることを意識しました。第一に、五年前、息子が誘拐されたのではないかと私の妻が訴えたのに、聞き入れようとしなかった刑事の菊池です。仕事で苛立っていたのか、奴はあろうことか、『今は忙しいんだ』と言ったらしいんです。一般市民を邪魔者扱いしたわけです。税金から給料をもらっているくせにふざけるな、と思いました」

「あの菊池さんが、そんな態度をとるとは思えないが……」

「それは、あなたが同僚の刑事だからですよ。あなたたちは鈍感なんだ。一般市民の立場になってみればわかる。特に被害者の家族の立場なら、警察の対応には不満だらけですよ。大事な人を亡くすということを、あなたたちはまったく理解できていない」

「それは……」

 と広瀬が言いかけた。彼女も警察に入る前、親しかった近所の男性を亡くしている。その事件によって進路を決めたのだから、彼女にも言い分はあるだろう。

 だが広瀬は口をつぐんでいた。今は自分の話をしているときではないと感じたようだ。

「当時小松川署にいた菊池は、その後、深川署に異動しました」北野は言った。「私は菊池から情報を引き出すため、自然な出会いを装って接近しました。偽名を使っていたから、ばれる心配はなかった。菊池の協力者になって情報提供すると同時に、警察内部の情報を探っていきました。

 過去の平井事件のことを尋ねるうち、菊池から情報が得られました。当時の捜査でわかったこととして、裕介が監禁された平井のアジトの隣に、白根という男が住んでいたそうです。彼は三月六日の夜七時ごろ、空き店舗となった風間冷機に誰かいることに気づいた。郷田が裕介を連れてきていたから、その物音が聞こえたんでしょう。でも警察には届けなかったというんです。遺体発見後、あらためて警察が事情を訊いたところ、そういえば当時、風間冷機で物音がしていたが、ホームレスか誰かが忍び込んだのだと思って通報しなかった、と言った。態度が変だったので刑事が追及したところ、実は面倒なことに巻き込まれたくなかったので通報しなかった、と打ち明けたということでした。……尾崎さん、わかりますか? 白根が通報していれば、裕介は助かった可能性が高いんです。次の日でも、その次の日でもよかった。警察に連絡さえしてくれれば、裕介は餓死する前に助け出されていたはずです。それなのに、白根は何もしなかった。これが許せますか?」

 そういえば、と広瀬がつぶやいた。

「二年前、池袋本町に引っ越してきた白根さんは、近所の空き家を見て心配していたそうよ。『あそこは危ないですよね』とか『子供が遊びに入ったらまずいですね』とか……。裕介くんが閉じ込められた事件があったから、そう言ったんでしょう。通報しなかったことについて、彼も後悔していた可能性があるわね」

「事件が起きたあのときに、行動を起こしていなければ意味がないんですよ。あいつは事なかれ主義だった。他人のことなんかどうでもいいと思っていたんだ。そういう奴には死んでもらう必要があったんです」

 強い口調で北野は言う。その気持ちはわかるが、だから殺していいということには絶対にならないはずだ。

 北野が落ち着くのを待ってから、尾崎は質問を続けた。

「白根さんの部屋に《行方不明》と《agcy》というふたつのメモがあった。もしかしておまえは、事前に白根さんに接触していたのか?」

「そうです。偶然を装って知り合いになり、遠回しにいろいろなことを訊きました。郷田のこと、手島のこと、そしてかつて中学生が行方不明になったこと。郷田たちは野見川組の手伝いで、高田馬場の新陽エージェンシーにも出入りしていましたから、そのことも質問しました。たぶんそれをメモしたんでしょうね」

 結局、白根自身は新陽エージェンシーとは関係がなかったようだ。

「彼の目を抉ったのは、暗闇にいた裕介くんを思ってのことだな?」

「それだけじゃない。白根はアジトに誰かいることに気づいていました。いわば目撃者だったのに、見て見ぬふりをした。だから目を抉ってやったんです」

 北野は殺人のひとつひとつに意味を持たせていた。個人的なこだわりであるがゆえに、現場状況はこの上なく猟奇的になり、不可解なものになっていたのだ。

「あとひとり、今日殺害しようとした坂本さんについては?」

「それは簡単ですよ。錦糸町事件で郷田が事故死するきっかけを作ったのは、あの坂本です。奴が店の外でトラブルを起こさなければ、郷田は事故にも遭わず、平井の風間冷機に戻って裕介に食事を与えていたでしょう。そして次の日、金を要求する電話を私の家にかけてきたに違いない。金を払えば裕介は私のところに戻ってきたはずなんですよ。……坂本がよけいなことをしなければ、郷田が事故死することはなかった。そうであれば、裕介が亡くなることもなかったはずなんです」

 それだけで坂本を殺害しようとしたことは、やりすぎだという気もする。だが本人の中に、坂本を許すという発想はなかったのだろう。

 結果として、北野は四人分の殺害計画を立てたわけだ。

「暴力団の下働きをしてきたことで、おまえは犯行の技術と自信を手に入れた。だからこんな事件を起こしても平気だった、ということか。昔はごく普通の人間だったはずなのに、こうまで変わるとは……」

「誰でも変わりますよ。あなたも広瀬さんもね。……ああ、そうだ。広瀬さんは前に言ってましたよね。周りには隠しているけど、警察の中で何かを調べているって。組織の不正でも見つけてしまったら、あなたもこっち側の人間になってしまうんじゃないですか?」

「私は……」広瀬は口ごもった。「あなたのようにはならない。少なくとも、人を殺したりはしない」

「なるほど。まあ、あなたはたいして苦しんでもいないんでしょう。……私なんかはね、もう一生分の苦しみを味わいましたよ。息子は死んだ。妻もいなくなった。私には何も残っていないんだ。失うものは何もなかった。だから三人でも四人でも殺してやれると思ったんですよ」

 口では強がっているが、北野の目は少し潤んでいた。

 息子の顔を思い出したのだろう、彼は床に座り込んだまま涙を流し始めた。



 日ごとに気温が上がってきている。

 木場公園でジョギングをする人たちも、少しスタイルが変わってきたようだ。以前はしっかりした上下のスウェットを着ていたが、最近では半袖、半ズボンの人も目にするようになった。

 四月二十二日、午前十時三十分。尾崎と広瀬はマジックミラー越しに、隣室で行われている事情聴取の様子を見守っていた。

 捜査一課の刑事が取調官となって、四日前に救出された坂本高之から話を聞いているところだ。

「……なるほど、あなたの家に、正体不明の人物から手紙が届いたわけですね。そこには、五年前の事件、平井事件のことが書かれていた」

「ええ、そうなんです」

 坂本はうなずいた。廃スーパーで救出されたときは頭から出血していたが、幸い傷は浅く、短時間なら事情聴取を受けられるようになっていた。

「手紙はどんな内容でしたか」

「郷田といいましたっけ、あの男とトラブルになったのはおまえのせいじゃないのか、と書かれていました。とんでもない話です。当時警察の方に話しましたけど、因縁をつけてきたのは向こうです。揉めたあと、郷田がナイフを取り出して僕を刺したんです」

 取調官は黙ったまま坂本を見つめた。五秒、十秒と時間が経っていく。

 居心地の悪さを感じたのだろう、坂本は小さく身じろぎをした。

「あの……何か?」

「坂本さん、本当のことを話していただけませんか」

「……どういうことです?」

「あの夜、ナイフを出したのはあなただったんじゃないですか?」

 え、と言って坂本は怪訝そうな顔をする。

 マジックミラー越しに見ていた尾崎は、眉をひそめて隣の部屋の坂本に注目した。

 いったい、どういうことだろう。ナイフを持っていたのは郷田ではなかったのか。当時の調書にもそう書かれていたはずだ。

 そのとき、広瀬が何かに気づいたようだった。彼女は額に指先を当てて、記憶をたどり始めた。

「たしか、スペインバルでオーナーが話していたわ。坂本さんには骨董品を集める趣味があって、バルのオーナーにもアンティークの食器などを販売していた。皿、カップ、スプーン、フォーク。そういう骨董品のほかに、坂本さんがナイフを集めていてもおかしくはない……」

 尾崎も思い出した。坂本は私的に作った名刺を渡して、自分には骨董品収集の趣味があるとオーナーに話したのだ。

「坂本さんが先にナイフを出した……。もしそうだったら、郷田は正当防衛を主張してもよかったのでは……。いや、それは無理か。誘拐事件を起こしている最中だったわけだからな」

 ひとり納得して、尾崎はうなずく。

 取調室では、坂本が取調官の質問を否定していた。

「僕は被害者ですよ。……あの夜、スペインバルを出て歩いていたら、郷田がぶつかってきたんです。なんだおまえ、くらいのことは僕も言ったかもしれません。でも悪いのは向こうです。郷田はいきなりナイフを取り出して、僕の左脚に突き刺したんですから」

「あなたはその場に倒れた。そこへ警察官二名が駆けつけ、郷田は逃げ出した。そうですね?」

「ええ、とにかく僕は気が動転してしまって……。だって、ナイフで刺されるなんて人生で初めてでしたから」

「そのあとの行動を覚えていますか?」

「救急車が来たので、乗せてもらいました」

「いえ、救急車の前です。警察官が駆けつけたとき、ナイフはどうなっていましたか」

「左脚に刺さって……いや、僕が自分で抜いたのかな。普通だったらとても無理ですが、あのときは興奮して、アドレナリンが出ていたんだと思います。痛みを感じるようになったのは、救急車の中ですね。人間って不思議なものですよ」

 坂本はそう言って口元を緩めた。口は笑っているのだが、よく見ると目は少しも笑っていないようだ。

「凶器となったナイフですがね、五年経ってしまいましたが、当時あなたが酒を飲んでいたスペインバルのオーナーに写真を見せたんです。オーナーはそのナイフを覚えていましたよ。あなたはスプーンやフォークなどと一緒にそのナイフも売ろうとした。しかしオーナーは食器やカトラリーだけでいいと言った。結局ナイフはあなたのコレクションとしてそのまま残った」

「それは……」坂本の表情に動揺が感じられる。

「当時鑑識がナイフの指紋を採ろうとしましたが、柄の部分が血で濡れていて採取できませんでした。だがよく考えてみれば、おかしな話です。普通に脚から抜いたのなら、柄の部分がそこまで血まみれになることはないでしょう。あなたは故意に、柄の部分を血で汚したんじゃありませんか。もともと自分の指紋がたくさん付いていたことを、つまりナイフは自分のものだったということを、警察に隠そうとして……」

 坂本は目を逸らし、机の天板をじっと見つめている。

 取調官は追及を続けた。

「なぜあなたは、ナイフが自分のものだということを隠したのか。……ナイフを出したのは郷田ではなく、あなただったからでしょう。そうですね?」

 しばらく口の中でぶつぶつ言っていたが、やがて坂本は観念したように肩を落とした。

「ええ。ナイフを出したのは僕です。だけど……あいつが悪いんですよ。僕を脅して、つかみかかろうとしていたから」

「あなたはナイフを取り出し、郷田に立ち向かった。ところがそれを取り上げられ、逆に刺されてしまったわけですね」

「……そうです」

 坂本は意気消沈している。

 当時の鑑識や捜査員に落ち度があったことは、認めなくてはならないだろう。坂本が刺されたところを目撃した者がいなかったため、みな彼の証言がすべてだと考えてしまったのだ。

「僕は罪に問われるんでしょうか」

 か細い声で坂本は尋ねた。取調官は咳払いをしてから言った。

「まずは事情聴取が先です。ここから先はすべて正直に話すように」

 わかりました、と答えて坂本は小さくため息をついた。

※ 次回は、6/4(火)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)