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朝日新聞出版の文芸書

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書評や文庫解説、インタビューや対談、試し読みなど、朝日新聞出版の文芸書にかかわる記事をすべてまとめています。
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2024年6月の記事一覧

私たちの「きちんとしたい」を救う物語/せやま南天著『クリームイエローの海と春キャベツのある家』小説家・大原鉄平さんによる書評を公開!

私たちの「きちんとしたい」を救う物語  私は広い古民家をリノベして一家で住み、デザインした部屋の写真をSNSで発信している。それらの綺麗に撮られた写真ではさぞ私たちが優雅に暮らしているかのように見えるだろうが、実際は優雅どころではなく、床に脱ぎ捨てられた誰かの服の下に隠れた、意図的に仕掛けられた罠としか思えない尖ったレゴを踏み抜いて悲鳴を上げる日々である。  特に古民家は部屋数が多い上に私以外の人間は片付けるということをしないため、週末ごとの掃除は私の役目となっている。家

永井路子さんが描いた藤原道長と能信が「望みしもの」とは? 朝日文庫『望みしは何ぞ』刊行記念! 文芸評論家・細谷正充さんが読み解く『この世をば』『望みしは何ぞ』

道長のイメージを一変させた歴史的名著  今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主役は紫式部である。そのため紫式部や、その周囲の人々に、あらためて注目が集まっている。ドラマで紫式部のソウルメイトになる藤原道長も、そのひとりだ。そして道長の描き方も、昔と比べるとずいぶん変わったものだと、感慨深いものがあった。  そもそも道長のイメージは、非常に悪かった。彼が、娘三人を天皇の后とし、三人の天皇の外祖父となったことは、周知の事実であろう。このため娘を政治の駒として使い、天皇家に強い

最年少で乱歩賞を受賞した神山裕右さんによる、13年ぶりの新作『刃紋』/ミステリ評論家・佳多山大地さんによる書評を特別公開

探偵小説と〈帝国主義の時代〉  探偵小説ファンを自任するなら、憶えておきたい年号がいくつかある。わけても、江戸川乱歩が短編「二銭銅貨」で作家デビューした年は重要であり、僕は「行くぜ兄さん避難しよう」とすぐに出てくるのだが……ああ、それは「二銭銅貨」のための語呂合わせではない。秋口に関東大震災が発生した1923年の、春先に乱歩はデビューして本邦ミステリー界に激震を走らせたんだよな、と手前勝手に結びつけているのである。  江戸川乱歩賞出身の作家、神山裕右の最新長編は、関東大震

「不思議な、体験だった。」川上弘美さんが12年の時を経て描いた、『七夜物語』の次の世代を生きる子どもたち/『明日、晴れますように 続七夜物語』刊行記念エッセイ

未来から今へ  このたび上梓することになった『明日、晴れますように』は、今から十二年前、二〇一二年に出版された『七夜物語』の、続篇である。 『七夜物語』は、二人の小学生が七つの不思議な夜を冒険する、というファンタジーだった。二人は名前を鳴海さよ、仄田鷹彦といい、多少内向的な、けれど冒険に際してはじゅうぶんに勇敢な子どもたちだった。一生に一度は子どもが主人公のファンタジーを書いてみたいと思って始めた連載中、わたしは主人公二人が大好きでしかたなく、小説を書いている時にどちらかと

夏季号は創作が1本に、新連載2本スタート! 新刊をめぐる評論と対談も。〈「小説TRIPPER」2024年夏季号ラインナップ紹介〉

◆創作高山羽根子 「パンダ・パシフィカ」  春先になると花粉症で鼻が利かなくなるモトコは、副業で働くアルバイト先の同僚・村崎さんから自宅で飼う小動物たちの世話を頼まれる。2008年、上野動物園ではパンダのリンリンが亡くなり、中国では大地震と加工食品への毒物混入事件が起きる。命を預かることと奪うこと。この圧倒的な非対称は、私たちの意識に何を残すのか? テロルの時代に抗う、小さく、ささやかな営為を描く問題作、一挙掲載285枚。 ◆新連載武内涼 「歌川 二人の絵師」  東海道

昔からの大ファンだという三宅香帆さんが「腑に落ちる」と評するエッセイ集/松井玲奈著『私だけの水槽』書評公開

表現から離れた場所で潜る 普段の活動を知っている人のエッセイを読むたび、腑に落ちる、という言葉を思い浮かべる。腑とはつまり内臓で、体の中心あたりにある臓器のことなわけだが、そこにすとんと落ちた納得のことを指す。たとえば私は松井玲奈さんを、アイドル時代から今の俳優・作家として活躍されている時代に至るまでずっと見ていて、そういう方のエッセイを読むと、なんだかすごく腑に落ちる感覚がある。――もちろん、私はテレビ越しや舞台越しにしか彼女のことを知らない。なのに、勝手にこちらが想像して

映画に格助詞「と」を持ちこんだ人/暗黒綺想家・後藤護氏による、町山智浩著『ブレードランナーの未来世紀』文庫版解説を特別公開

映画に格助詞「と」を持ちこんだ人  ――スペシャリストにしてジェネラリストであること 『ブレードランナーの未来世紀』というタイトルとは裏腹にクローネンバーグの『ビデオドローム』論からはじまる、という構成が本書の妙ではあるまいか。つまりこの第一章で、『ビデオドローム』が依拠したとされるマーシャル・マクルーハンの思想が語られている箇所が私には重要に思えてならないのだ。本書で語られたその概要をおさらいすると以下のようになる。中世のヨーロッパ人や非文字文化のアフリカ部族などが属して