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Whatでは英語を話すのか?(『パルプ・フィクション』)――川添愛「パンチラインの言語学」第8回

文学、映画、アニメ、漫画……でひときわ印象に残る「名台詞=パンチライン」。この台詞が心に引っかかる背景には、言語学的な理由があるのかもしれない。
ひとつの台詞を引用し、そこに隠れた言語学的魅力を、気鋭の言語学者・川添愛氏が解説する連載。毎月10日に配信予定。

 皆さんにとって、「これまでの人生で、見た回数が一番多い映画」は何だろうか? 私は『パルプ・フィクション』である。数えたことはないが、たぶん40回ぐらいは見ている。
 初めて見たのは大学生のときだ。正直言って、一度目はあまり面白いと思えなかった。なんとなくクライム・サスペンスのつもりで見始めたが、ハラハラドキドキするような感じでもなく、登場人物たちはなんか本筋とは関係ないことをベラベラしゃべってるし、暴力シーンはやたらと怖いし、どちらかというと繰り返し見ることはないタイプの映画だった。
 しかしビデオ(当時)をレンタル屋に返し終わってからしばらく経つと、ジワジワと見たくなり、また見たら一度目よりも面白かった。三度目はさらに面白く思えて、そうやって繰り返し借りては見て、気がついたら何回も見ていた。
 当時はアメリカ留学を控えていたということもあり、英語の勉強のために英語字幕で何度も鑑賞し、クエンティン・タランティーノが書いた原作脚本のペーパーバックを買って読み、英語教材として売られていたカセットテープも購入した。テープの方は、映画の音声がそのまま入っているのかと思いきや、誰だか分からない女性の声で無感情にセリフが読み上げられていてがっかりした。何はともあれ、そういった勉強(というか、単に好きでハマっていただけ)のおかげで、一時はこの映画のセリフのほとんどすべてを記憶していた。
 今でも主題曲の『ミザルー』が聞こえてきただけでテンションが上がるし、真っ暗な画面の下から「PULP FICTION」の文字がせり上がってくるのを見れば「うおぉっ、かっけぇ!」と興奮するし、すっかりいい気分になったところで音楽に合わせて「ハッ! ハッ! ハァ〜」と合いの手を入れるのが恒例になっている。何年か前に、お笑いコンビのシソンヌがネタの中で『ミザルー』+「ハッ! ハッ! ハァ〜」を披露していたのを見て、世の『パルプ・フィクション』マニアの多くが私と同じことをしているのだ、と確信した。

 この映画の特徴についてはすでにいろんな人がいろんな観点から語っているが、ここでは主に「作中の会話の格好よさ」について、個人的に思うところを語ってみたい。
 そもそも、この映画のセリフの何が格好いいのか。もちろん、サミュエル・L・ジャクソン演じるギャングのジュールスが人を殺す前に「エゼキエル書25章17節」を唱えるところとか、卑語がやたら多いとか、いろいろとこだわりを感じさせる部分はある。しかし、私が感じている格好よさはそういった特別なところだけにあるわけではなく、「登場人物たちの賢さを感じさせる話し方」にある。つまり、この映画における会話の格好よさとは、話し手の頭の回転の速さであり、「賢きことは格好よきかな」というわけである。
 たとえば、ギャングに追われる立場になったボクサーのブッチ(ブルース・ウィリス)が、逃亡のために利用したタクシーの運転手エスメラルダ(アンジェラ・ジョーンズ)に口止めをしようとして、「もし誰かが君に今晩誰を乗せたか聞いてきたら、何と答える?」と尋ねる場面がある。普通だったら、「あなたのことは言わないから安心して」とか言いそうなところだが、エスメラルダは「本当のことを言うわ。身なりのいい、ほろ酔い加減のメキシコ人を三人乗せた、って(The truth. Three well-dressed, slightly toasted Mexicans)」と答える。エスメラルダがブッチの意図を汲み取っているだけでなく、すでに噓の返答を用意しているところ、またそれを「本当のこと(The truth)」と言っているところに「只者ではない感じ」がにじみ出ている。

 また、同作の登場人物たちは圧倒的に「説明」が上手い。それも、それほど難しい語彙ごいを使わずに、流れるように説明する。たとえば、オープニング直後のジュールスとヴィンセント(ジョン・トラボルタ)の会話で、ヴィンセントがアムステルダムのマリファナ事情について説明するのが非常に分かりやすい。
 「合法って言っても、100パーセント合法ってわけじゃない。たとえば、レストランに入ってプカプカやるってことはできない。吸えるのは家か、指定された場所だ。(中略)嚙み砕いて言うと、買うのは合法、所有も合法。ハシシ・バーのオーナーだったら、売るのも合法。持ち運ぶのも合法だが、それはそんなに重要じゃなくて、なぜかっていうと——ここからが大事なんだが、いいかい、もし警官に呼び止められても、奴らが所持品検査をするのは非合法なんだ。アムステルダムの警官は、そういう権限を持ってないのさ」
 ご覧のとおり、具体例は多いし、リズム感もあるし、要所要所に「嚙み砕いて言うと(It breaks down like this)」とか「get a load of this(よく聞いてくれ)」など、相手の注意を引くための言葉が効果的に使われている。
 この直後にヴィンセントが「アメリカとヨーロッパのちょっとした違い」について話すときも、「映画館でビールを買ったら紙コップじゃなくてグラスで出てくる」とか「マクドナルドのクオーターパウンダー・チーズ(Quarter Pounder with Cheese)のフランスでの呼び名が “ロワイヤル・ウィズ・チーズ(Royale with Cheese)”」など、具体例がポンポン出てくる。「全体的な概要を述べる」から「具体例を挙げる」までの流れが実にスムーズ。ジュールスに「ビッグマックは何と呼ぶんだ?」と尋ねられて、「ビッグマックはビッグマックだが、奴らは “ル・ビッグマック” って呼ぶ(Big Mac’s a Big Mac, but they call it “Le Big Mac”)」と答えるのも気が利いている。この他にも、全編にわたって、「英語での説明って、こんなふうにすればいいのか〜」と、参考になる部分が多い。

 表現の仕方も巧みだ。ジュールスとヴィンセントの間で「足のマッサージは性的な接触と言えるのか」について議論になった際、ヴィンセントは「(まったく同じではないが)似たようなもんだろ(It’s the same ballpark)」と言う。ここではthe same ballparkという、「同じ球場(にある)」→「大まかに見て、似たようなもの」という慣用句が使われている。これに対してジュールスは、「ぜんぜん似ていない。(中略)同じリーグでさえないし、そもそも別のスポーツだ(It ain’t no f**kin ballpark neither.(中略)It ain’t even in the same league, it ain’t the same f**kin sport)」と反論する。相手が出してきた「球場」という慣用句に乗っかる形で、「リーグ」「スポーツ」という言葉の入った表現を使って反論しているわけだ。こんなどうでもいい議論の中で、和歌の「本歌取り」みたいな機知に富んだやりとりがなされていることに感動する。
 こんなふうにクレバーさを感じさせるセリフを挙げていったらキリがないが、個人的に『パルプ・フィクション』らしさをもっとも強く感じるのは、相手を追い詰めるときに使われる「質問ではない質問」だろう。たとえばジュールスが、彼らのボスを裏切った青年ブレットを尋問するシーンに、次のようなくだりがある。

ジュールス:(怯えて言葉を失うブレットに対して)What country you from!(貴様はどこの国から来たんだ!)
ブレット:What?
ジュールス: “What” ain’t no country I’ve ever heard of! They speak English in “What”?(Whatなんていう国は聞いたことがねえ。Whatでは英語を話すのか?)
ブレット:(さらに怯えて)What?

 「Whatでは英語を話すのか?」は当然、通常の質問ではない。そもそもブレットの返答であるWhat?(何?)は国名ではないし、そんなことはジュールスも当然分かっている。こういう、間違った前提にのっとった「答えようのない質問」をすることで、相手を精神的な袋小路に追い込んでいるのだ。
 しかしこのあと、ジュールスは「質問ではない質問」を受ける側にも回る。運転中の車内でヴィンセントが銃を暴発させてしまい、同乗していた青年が死に、車内も自分たち二人も血まみれになる。警察の目を避けるため、死体を乗せた車とともにカタギの友人ジミー(クエンティン・タランティーノ)の家に逃げ込むが、そのことについてジュールスはジミーに文句を言われる。

ジミー:Did you notice a sign out in front of my house that said, “Dead Ni**er Storage”?(俺の家に「黒人の死体預かります」っていう看板が掛かってるのを見たか?)
ジュールス:No, I didn’t. (いや、見てない)
ジミー:You know why you didn’t see that sign?(なんでそんな看板が掛かってないか分かるか?)
ジュールス:Why?(なぜだ?)
ジミー:
(中略)’Cause storin’ dead ni**ers ain’t my f**kin’ business, that’s why!(なぜなら、黒人の死体を預かるのは俺の仕事じゃねぇからだ! それが理由だ!)

 このくだりを思い出すだけで、白いご飯が三杯ぐらいイケる。ジミーが文頭で「’Cause(なぜなら)」と言っているにもかかわらず、勢い余って文末に「ザッツワァァーーイ!(that’s why!)」を付けているのも重要なポイントだ。
 皆さんも、もし職場とかで余計な仕事を押し付けられそうになったら、「私の机に、”面倒な仕事引き受け係” って書いてあったか?」と言ってみてはいかがだろうか。相手が「いや……」と言ったら、「なんでそう書かれてないか分かるか? なぜなら、面倒な仕事を引き受けるのは私の仕事じゃないからだ!」と畳み掛けるのだ。もちろんその後に「ザッツワァァーーイ!」も付けたらなお良い。泣く子も黙る『パルプ・フィクション』構文、ぜひビジネスにも活用してほしい。

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川添 愛 (かわぞえ・あい)
言語学者、作家。九州大学文学部、同大学院ほかで理論言語学を専攻し博士号を取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、12年から16年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。著書に、『白と黒のとびら』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』『ふだん使いの言語学』『言語学バーリ・トゥード』『世にもあいまいなことばの秘密』など多数。