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朝日新聞出版の文芸書

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書評や文庫解説、インタビューや対談、試し読みなど、朝日新聞出版の文芸書にかかわる記事をすべてまとめています。
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記事一覧

今の日本の現状を風刺した凄まじいエンターテインメント小説だ――貫井徳郎さん『ひとつの祖国』書店員さん感想まとめ

 息もつかせぬ驚愕の展開に圧倒されます。人間の本質と、生々しくも突きつけられる現代社会の闇から目が離せません。経済格差を理由に、東日本独立を目指すテロ組織が暗躍する。善と悪が曖昧に揺れ動き、人間の憎悪や醜悪さ、悍ましさに、終始ハラハラさせられる。予想できない展開からの怒涛のクライマックス。人間社会の本質に迫る作品です。 (精文館書店新豊田店 渡邊摩耶さん)  第二次世界大戦での敗戦で、西の大日本国と東の日本人民共和国に分断された日本。ベルリンの壁の崩壊の半年後日本も統一さ

永井路子さんの『この世をば』に連なる歴史巨編『望みしは何ぞ』/文芸評論家・縄田一男さんによる文庫解説を公開

 私たちはよく過去の歴史を何々時代といった名称で区分し、更にそれを細かく区分けしようとするが、本来、歴史は生きた連続性の中にあり、作家が1つの時代をまるごと捉えようとした場合、1篇の作品では収まり切らないという事態が生じて来る。  永井路子の“平安朝3部作”、すなわち、『王朝序曲――誰か言う「千家花ならぬはなし」と』『この世をば』、そして本書『望みしは何ぞ』は、そうした書き手の要請がもたらした必然の産物であった、ということが出来よう。 『望みしは何ぞ』は「中央公論文芸特集

もし日本が分断されていたら…架空の歴史が暴く現実の日本の社会問題/末國善己氏による貫井徳郎著『ひとつの祖国』書評を公開

架空の歴史が暴く現実の日本の社会問題  架空の島を舞台に、明治初期から平成末までの近現代史を17の物語で追った全3冊の大作『邯鄲の島遥かなり』を刊行した貫井徳郎の新作は、第二次世界大戦後に東西に分割された日本という架空の歴史を描いている。実現はしなかったが連合国は日本の分割統治を検討していたので、本書はあり得たかもしれないもう一つの歴史を題材に、現実の日本が直面している諸問題に切り込んでいる。  先の大戦末期、北海道を制圧したソ連軍が本州に侵攻した結果、西日本に民主主義国

この小説は、みんなへの声援/せやま南天著『クリームイエローの海と春キャベツのある家』創作大賞2023(note主催)受賞の秋谷りんこさんによる書評を公開!

この小説は、みんなへの声援  私は、家事が苦手だ。子供の頃からおっとりしており、身の回りのことをするのが得意ではなかった。大人になっても変わらず、掃除も片付けも人並みにはできない。料理はするが、上手ではない。レトルト調味料や冷凍食品に助けられ、何を出しても「美味しい」と言ってくれる夫に救われているだけだ。洗濯は嫌いではないけれど、得意でもない。先日、仕事から帰ってきた夫が、部屋干ししてあるシャツの袖を黙って引っ張り出していた。片袖だけ裏返ったままで干していたことに、私は一日

【祝・本屋大賞2024第3位&第9回渡辺淳一文学賞受賞!】「生きている」重みと「生きてきた」凄み/塩田武士著『存在のすべてを』池上冬樹氏による書評を再公開

 塩田武士といえば、グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』(2016年)だろう。迷宮入りした事件を、脅迫状のテープに使われた少年の声の主を主人公にして、犯罪に巻き込まれた家族と、未解決事件を追及する新聞記者の活躍を描いて、厚みのある社会派サスペンスに仕立てた。週刊文春ミステリーベスト10で第1位に輝き、第7回山田風太郎賞を受賞したのも当然だった。 『罪の声』から6年、新作『存在のすべてを』は、『罪の声』を超える塩田武士の代表作で、いちだんと成熟して読み応えがある。物語はまず

<祝・本屋大賞2024第3位&第9回渡辺淳一文学賞受賞!>【インタビュー】塩田武士が見た、松本清張の背中 話題作『存在のすべてを』で挑んだ「壁」

「作家には定期的に必ず越えるべき壁が出てくると言いますが、私にとってはそれが『罪の声』でした。以前、作家の湊かなえさんのラジオに出演した時に、湊さんがこれから塩田さんは『罪の声』と闘うことになる、私が『告白』と闘ったように、と言われたことがあるんです。重たいなと思いました」  塩田武士さんが2016年に発表した『罪の声』は、「グリコ・森永事件」をモチーフにしたサスペンス小説だ。週刊文春ミステリーベスト10(国内部門第1位)、第7回山田風太郎賞を受賞するなど一世を風靡し、20

【祝・本屋大賞2024第3位&第9回渡辺淳一文学賞受賞!】塩田武士『存在のすべてを』刊行記念インタビュー/「虚」の中で「実」と出会う

 情熱を失った新聞記者が再び「書きたい」と奮い立つ題材に出会うという出発点はデビュー作『盤上のアルファ』(2011年)、子供たちの未来を奪う犯罪への憤りという点では代表作として知られる社会派ミステリー『罪の声』(2016年)、フェイクニュースが蔓延し虚実の見極めが難しい現代社会のデッサンという点では吉川英治文学新人賞受賞作『歪んだ波紋』(2018年)、関係者たちの証言によって犯人像が炙り出される構成上の演出は『朱色の化身』(2022年)……。塩田武士の最新作『存在のすべてを』

夢を追いかけ続け、叶えた藤岡陽子さんだからこそ書けた『メイド・イン京都』 モデルとなったデザイナー・谷口富美さんによる文庫解説を特別公開

 藤岡陽子さんの『メイド・イン京都』(朝日文庫)が刊行されました。  物語のモデルとなった、デザイナー・谷口富美さんが解説を寄せてくださいました。学生時代から藤岡陽子さんを見てきた谷口さんによる解説の全文を掲載します。 「ひさみちゃんをモデルに小説を書かせて欲しい」  藤岡陽子先生にそう言われたとき、背中がじんわり熱くなり、「私の人生でこんなに輝かしいことが起こるのか!」と叫び声が、お腹の底から脳に向かって聞こえ、星屑にあたたかく包まれたようでした。 「ひさみちゃんが

汚職事件を追う捜査二課の刑事を描いた、堂場瞬一さんの『内通者』が文庫新装版として刊行! 現役大学生の書評家・あわいゆきさんによる文庫版解説を特別公開

〈時代〉と〈世代〉を超えて、愛され続けるための秘訣  普遍的な小説、とは一体なんでしょう? たとえば国語の教科書に長く載り続けているような古典や近代文学は、読んだことがある、というひとも多いかもしれません。太宰治『人間失格』などは特に、中高生を対象にした読書調査アンケートでもここ数年、読んでいる本の上位に居続けています。あるいは老若男女楽しめるように書かれている軽快なエンターテインメント小説も、世代にかかわらず親しまれているでしょう。  一方で、どんなひとが読んでも面白い

【新直木賞作家・河﨑秋子さんエッセイ】直木賞をとっても 地球は割れないが

 誠に遺憾ながら、私の力では地球は割れない。  その事実に気づいたのは、幼稚園の年長ぐらいの頃だっただろうか。  物心ついた時に見ていた『Dr.スランプ』のアニメで、紫色のロングヘアーをなびかせ、メガネの奥のつぶらな瞳を輝かせた少女型ロボット・アラレちゃんは、「ほいっ」というごく軽い掛け声と共に鉄拳を地面に叩き込み、ぱかんと地球を割っていた。  ……そうか、地球って割れるのか。じゃあ自分も、大きくなったら地球が割れるのかもしれない。  幼い私はそう思った。幼児が世界を

書きたかった荒唐無稽な「変なもの」/『虎と兎』筆者・吉川永青さん刊行記念エッセイ

 これまで純粋な歴史小説を書いてきた私にとって、今作『虎と兎』は異色の一作だろう。何と言ってもアメリカが舞台である。主人公の三村虎太郎も架空の人物で、これがインディアン戦争と呼ばれる一連の戦いに身を投じるという荒唐無稽な物語だ。  とは言え、歴史小説の枠組みを大きく逸脱している訳ではない。主要登場人物で架空の存在は三人のみ、他は全て実在の人物である。物語中の諸々の事件もアメリカ史に準拠し、アメリカ先住民の思想その他も調べ得る限り事実に即するよう留意した。  それでも、やは

【菜の花忌シンポジウム】作家・司馬遼太郎さんを偲び今年も開催/『街道をゆく』をテーマに、大紀行が未来に伝えるメッセージを語り合う

司会・古屋和雄:まず『街道をゆく』が皆さんにとってどういう作品か、教えてください。 今村翔吾:僕が『街道をゆく』を全部続けて読んだのはたぶん中学2、3年生頃。司馬さんの小説を全部読み切って、読むものがなくなって……といったら失礼ですけど。読んでみて、小説にフィードバックされているところが随所に感じられて、「二度楽しめる」感じだったのを覚えていますね。 ■憧れだったモンゴルへ 岸本葉子:なんといっても足での探索と、頭での探索。実際に司馬さんと一緒に歩いて、移動をしている感

「小説についてはいつも孤独という言葉で考えています」/町屋良平さんによる江國香織インタビューを特別公開!

言葉の要請から物語が生まれる■街そのものを描くということ 町屋:江國さんの作品を読んだのは『冷静と情熱のあいだ』が最初で、実はそれが私の文学体験のほとんど原点に近いものでした。もちろんそこに書かれている世界は高校生の私には経験したことのないものだったのですが、読み終わったあとにグッと引き込まれていた自分に気づき、しばらく興奮を抑えられなかったのを覚えています。どんどん日本の小説を読めるようになったのは、それからでした。以来、江國さんの小説をずっと好きで読んできた人間の個人的

「私は、もっと自らのおろかさを突き詰めた長井短の小説が読んでみたい」小説家・年森瑛さんによる『私は元気がありません』書評

他者を物語るということ  小説を書くことは、この上なく孤独な作業だ。  寂しさに耐えかねた私は、同じく兼業作家のサハラさんと毎週末に作業通話をするようになった。一人称って難しくないですか、下手こくと「俺の名前は江戸川コナン、探偵さ!」状態になりますし、作家の腕が如実に出ますよね、みたいな話をしている。そこで思い返してみると、『私は元気がありません』の一人称は上手かった。これは長井短による初の小説集で、全三篇が収録されている。独特のバイブスがある文体で、舌に乗せたくなるよう