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「自分で助けを呼べなかったんでしょうか」――中山七里「特殊清掃人」第3回
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「自分で助けを呼べなかったんでしょうか」――中山七里「特殊清掃人」第3回

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秋廣香澄は半年前に〈エンドクリーナー〉に転職したばかり。特殊清掃の仕事には、未だ慣れない。30代の女性が孤独死した部屋の清掃依頼があったのだが……。

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「二十万円、ですか」

 から見積り額を聞いたあきは渋面を作ってみせたが、拒絶するまでには至らなかった。

「最初に提示した予算の五倍じゃありませんか」

「根拠があります」

 説明を重ねられると晶子はますます渋い顔になる。不承不承ながら納得している証拠だ。

「ネット検索で同業他社にお見積りを依頼されても構いませんが、当社が一番お手頃価格だと思いますよ」

「それは知ってます。〈エンドクリーナー〉さんは四社目に見積りをお願いしたところだから」

「ほほう、そうでしたか」

 五百旗頭は事もなげに笑うが、横で聞いていたすみは舌打ちをしたくなった。見積りの比較をすること自体は構わないが、その上で四万円の予算を提示してきたのはコストパフォーマンス云々の問題ではなくただ業突く張りなだけではないか。

「二十万円は最低額ですよね。最高はいくらになるんですか」

「上限四十万円でお考え下さい」

「四十万円の根拠は」

「過去に扱った事例で同様の間取りがいくつかありますが、そのうちの最高額です。尚、不測の問題が発生して上限を超えるようでしたら改めて相談させていただきます」

「『人が死んでいった痕跡は簡単に消せるものではない』でしたね」

 晶子は束の間考え込んでいたが、やがて頷いた。

「分かりました。早速着手してください」

「では明日から」

「できれば今日にでもお願いします」

 打って変わって積極的な態度に、五百旗頭は水を向ける。

「もしよろしければお急ぎの理由を聞かせてもらえませんか」

「あなたには関係のないことでしょ」

「差し迫った事情がおありなら、他の依頼に優先させることもできますよ」

「事情といっても、一刻も早く原状復帰したいのは大家として当然でしょう。まあいいです。実はさっき、あなたたちが見積りをしている間に関口さんのお母さんと連絡が取れましてね。部屋のクリーニング代はそちらから出してもらうことになったんです」

 見積り額が上がっても抗議しなかったのは自分の懐が痛まなくなったからか。

「考えてみれば物件の原状復帰は賃借人の義務ですもの。本人がいなくなった以上、その家族が責任を負うのは当然のことですよね」

「では問題発生の際や請求金額については、直接ご遺族に話した方がよさそうですね」

「お母さんは関口という人です」

 晶子は傍らにあったメモの紙片を五百旗頭に突き出す。

「金額交渉はそちらでお願い。わたしはクリーニングが早く終わればいいから」

「先方と見積りの件で確認しなきゃいけません。本格的な清掃の準備もありますので、どれだけ急いでも着手は明日になります。ご理解ください」

 笑っていても五百旗頭は押しが強く、ここでも晶子は渋々の体で了承した。

「ああ、お母さんから伝言をもらっています」

「わたしたちにですか」

「『娘が、片付いた清潔な部屋で眠るように死んでいたように』取り繕ってほしいという内容でした。大家であるわたしとしては変な噂が立っても困るので、お母さんの要望に同調したい考えです」

「承りました」

 なりとみ宅を辞去すると、五百旗頭はやれやれというように首を振った。

「悪いけどあきひろちゃん、今から池上署にいってくれねえかな」

「情報収集ですね」

「関口さんは本当に自然死だったのか。自然死だったのなら死因は何だったのか。大家から仕入れた証言を一つ一つ確認しなきゃな」

「五百旗頭さんは大家さんの話を信用していないんですね」

「大家には大家なりにバイアスが掛かっているからなあ。ああいう手合いは自分に都合のいい話しかしないから。それは秋廣ちゃんも分かってるでしょ」

 香澄は頷いてみせる。少しでも費用を少なくするために値切り倒す。部屋の汚染は自分の管理責任ではないと言い張る。被害者意識に凝り固まり、呼びつけた清掃業者に無理難題を吹っ掛ける。まだ半年しか勤めていないというのに、身勝手な依頼人を何人も見てきた。

「色んな方向から物件を見ないとさ、瑕疵の下に別の瑕疵が隠れていることはざらにあるから」

      2

 池上署の担当者はむらはるという刑事だった。

「特殊清掃の〈エンドクリーナー〉さんですか。あの部屋の片づけをされているんですね」

 田村刑事は同情するような目で香澄を見る。あの現場に立ち入った者なら誰しも同様の感想を抱くに違いない。

「あの部屋にもう入ったんですよね」

「はい。見積りを出さなければならないので」

「ひどかったでしょ、臭い」

「いえ、最初から防毒マスクと防護服を着込んでいるので、直接臭いは嗅いでいません」

「さすがに専門業者さんは抜かりがないですね。わたしなんて何の準備も心構えもなかったので、部屋に足を踏み入れた時の衝撃がひどかったです」

「それ、とても危険ですよ」

「腐乱死体は感染症の温床だというのは承知しているんだけど、完全防護で仕事に臨んでいるのは解剖医くらいです」

 田村刑事は自分のナチュラルボブを手で梳いてみせる。

「ホントに臭いがすごくて。一度シャンプーしたくらいじゃなかなか臭いが取れなかった。自分の部屋にも残り香みたいに染み付くし」

「人の死臭って他に喩えようがないんですよ」

「そうそう」

 田村刑事は我が意を得たりとばかり、こくこくと頷く。女性の職域が広がったとは言え、死臭を嗅ぎ慣れている女というのはまだまだ希少なのだと実感する。

 ひとしきり死臭の扱いづらさと職場への不満を言い合っていると旧知の間柄のように思えてきた。奇妙な同胞意識の芽生えが確認できたのを見計らって、香澄は情報収集に移行する。

「警察は関口麻梨奈さんの死を自然死と判断したと聞きました」

「死体は腐乱が進んでいたけどまだ原形を保っていて、体表面に外傷らしきものは見当たらなかったんです。毒殺その他の可能性も考慮しましたけど、現場には本人以外の毛髪も下足痕もありませんでした」

「死因は何だったんですか」

「監察医務院で解剖した結果、脳梗塞と判断されました。異常に大きな血栓が血管に詰まっていて、それが直接の死因だろうと。通常の脳梗塞は動脈硬化の進行とともに徐々に発症するんだけど、麻梨奈さんの場合は心原性脳塞栓症といって前ぶれもなく突然発症した事例みたいですね」

「自分で助けを呼べなかったんでしょうか」

「心原性脳塞栓症は全身麻痺や意識障害を伴うそうです。きっとスマホに手を伸ばす間もなかったんじゃないですか」

「関口麻梨奈さん、まだ三十代だったでしょう」

「正確には三十二歳と四カ月」

「脳梗塞って、もっとお年寄りの病気だと思っていました」

「監察医の話だと、加齢よりは生活習慣の影響が大きいみたい。例を挙げれば喫煙と飲酒。度を超えると年齢に関係なく血栓ができやすくなるんですって」

 香澄は非喫煙者だし、酒も人から勧められた時に付き合う程度だ。自分には縁のなさそうな話だと安心しかけたが、田村刑事の容赦ない言葉が続いた。

「あと生活習慣だけじゃなく、水分不足による脱水症状もよくある原因らしいですね。今はまだ六月だけど、湿度の高い日には結構汗を掻くじゃないですか。流した汗の分だけ水分補給しないと、血液が粘って血流が悪くなります。監察医は関口麻梨奈さんの脳梗塞はそっちが原因じゃないかと疑っていました」

「何か根拠があるんですか」

「本人はフローリングの上にぎょうで倒れていました。ベッドが近くにありますが、辿り着く前に倒れたのでしょう。ベッドの周りにも冷蔵庫にも水はありませんでした。床に置いたペットボトルの中身は本人の排泄物ばっかり。室内にはエアコンも設置されていましたが、山のように積まれたゴミ袋のせいで機能を発揮できない。本人が死亡したのが四月中旬だとしても外気温は結構高めの日が多かった。室内でクーラーの効かない状態で引き籠りを続けていれば、当然水分不足になる」

 水分が不足したのなら近所のコンビニエンスストアに走ってミネラルウォーターを買うなり、水道の蛇口を捻ればいい。だが関口麻梨奈の場合は事情が違った。

「外車ディーラーの仕事を辞めてからはどこにも再就職しなかったようです。部屋から出ることもなく、浴室に詰め込まれていた空き箱から察するに、買い物はもっぱらカード決済で通販を利用していたみたいですね。預金口座の残高もずいぶん少なくなっていました。そういう事例は秋廣さんもご存じでしょう」

「たとえ玄関までの動線が確保できていても、出不精が身につくと外出するにも勇気が要ると聞きます」

「関口麻梨奈さんがまさにそのパターンだったのでしょうね。飲料水が切れてもコンビニまで向かう行動力がない。シンクは洗っていない食器で満杯、そもそもゴミ袋が邪魔して辿り着けない。寝ていれば喉の渇きを忘れる、夜になれば湿度も室温も下がる。明日は部屋から出て買い出しにいこう。そんなことを続けるうちに血栓が詰まり、とうとう本人は意識を失って倒れる。そういう最期だったんですよ」

 感情を交えない話しぶりなので、余計に死に際の孤独さが胸に迫る。香澄自身が麻梨奈と同年代なので尚更だった。

「関口さんはペットを飼っていましたか」

「その形跡はありませんでした。鑑識が採取した毛髪は全て本人のものでしたしね」

「捜査の際、部屋中をご覧になったんですか」

「いったんゴミ袋は全部部屋から運び出しました。特に異常も発見できなかったので元に戻しましたけどね」

「物件の間取り図を見ました。部屋の北側がL字型のWIC、つまりウォークインクローゼットになっていました」

「クローゼットの中も調べましたよ。不思議と中は衣服だけで、ゴミ袋もペットボトルも侵入していませんでした。そうだ。ハンガーに吊るされていた服には何着か男物が混じっていました」

「半同棲でもしていたんでしょうか」

「どうでしょうね。たださっきも言った通り、本人以外の毛髪や下足痕は採取されていないので、誰かと付き合っていたとしても倒れる前に破局していたでしょうね」

「関口さんのスマホに交際相手との交信記録が残っていたんじゃないですか」

「それらしきものは完全に削除されたようで見当たりませんでした。破局していたと判断したのは、そういう理由からです」

「そのスマホ、まだ警察が保管しているんですか」

「今朝がた、お母さんが遺品として引き取っていきましたよ」

 初耳だった。だが、そういう事情ならば今日ハウスクリーニングの件で大家の成富晶子に連絡したタイミングと合致する。

「昨日、引き取ったご遺体を都内で荼毘に付したと聞いています。一両日中に遺品の整理を済ませると言ってました」

 遺品整理が目的なら、当然ハウスクリーニング前に本人の部屋を訪れなければならない。母親がクリーニング費用を負担すると言い出したのはそれが事由なのかもしれない。

前回(第二回)                                                                          次回(第四回)


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