往復書簡 日々の音沙汰 ー第2回「『似ている』は褒め言葉?」(ジェーン・スー)ー
■前回の伊藤亜和さんからのお手紙はこちら
✉ 伊藤亜和さま ← ジェーン・スー
こんにちは。ようやく涼しくなりましたね。秋風が吹くたび、寒がりの亜和さんが身を縮めてはいないかと気がかりです。ちなみに、私にはまだクーラーを入れる日があります。暑がりですから。
お手紙ありがとうございました。楽しく拝読させていただきました。亜和さんが80%竹中直人さんだったなんて、驚きを隠せません。CHARAの「70%-夕暮れのうた」を思い出しました。1999年の曲です。亜和さんはさしずめ「80%-竹中のあわ」ですね。かっこいい。
それにしても、お二人のどこがどう似ていると診断されたのでしょう。いまとなっては確かめる術もありませんが、十年経ってもオモシロ逸話として誰かに話せる出来事なんて、そうそうありません。中途半端ながら、数値がなかなかに高いのも良い。果たして残りの20%はなんなのか。伊藤亜和を伊藤亜和たらしめている、20%の正体が気になって仕方ありません。
誰かに似ていると言われたこと、私にもあります。吉田羊さん、山本未来さん、小池栄子さんです。すごいでしょう。これは長年の自慢でした。だって、全員美人だもの。
似ているかどうかなんて、どうせ確かめる術などないからいいの、いいの……と思っていたら、運命のいたずらで吉田羊さんが私の役を演じるという奇跡が起きました。拙著『生きるとか死ぬとか父親とか』のドラマ化です。
そして運命は私に手厳しかった。撮影現場にお邪魔したある日のこと。せっかくなので一緒に写真を撮りましょうとなり、あらいやだ、ありがとうございますなんて言いながら、私は羊さんの隣に座りました。顔の大きさがまるで違うことには、その時点で気付きました。それでもまだ、吉田羊さんは私の上位互換くらいには思っていたのです。傲慢ですね。
現実は、そんなあまっちょろいレベルではありませんでした。スタッフが満面の笑みで見せてきたスマホの画面を見ると、そこには似ても似つかぬ二人が並んでいました。吉田羊さんは、髪形から服装まで私に寄せてきているというのに! 「吉田羊似」を自分から発信したわけでもないのに、全方位に深々と頭を下げたくなったのをハッキリ覚えています。
著名人ならまだしも、「中学時代のクラスメイトの山田に似ている」というような、返答に困るものもありますね。わざわざ写真まで持ってきてくれる人もいたりなんかして、しかしこういう場合の山田はたいてい美醜の判断がつきづらいというか、まあ「美」寄りではないことがままある。亜和さんにおける竹中直人さんのように、性別を超越していることもあります。言ってきた人に悪意がないのは十分理解しているものの、「そうか……私はこういう風に見えているのか……」と、こちらは肩を落とすことになる。
山田だっていい迷惑です。山田に私の写真を見せてごらんなさい。「俺はこんな感じなのかよ」と、肩を落とすに違いない。加害者不在のまま被害者が二人も誕生するひどい話だ。
昨日まで、山田にとっての山田は鏡に映った山田だったのです。写真は「写りが悪い」とかなんとか、自意識を誤魔化せますから。私にとってもそうでした。しかし、他者が「似ている」と認めた存在を目の当たりにすると、鏡に映った自分のまあまあな顔など自意識とともに吹き飛んでしまう。
そういう意味では、亜和さんのパートナーがおっしゃった「似ているというのは、誰であっても褒め言葉ではないよ」は一理あるのかもしれません。思慮深い方とお付き合いしているのですね。
ところで、この「似ている」には次のフェイズがあることを最近知りました。SNSでエゴサをすると「ジェーン・スーに似てるって言われちゃったよ!」とか「ジェーン・スー似の先輩」など、私が似元(にもと:そんな言葉はないけれど)としてレファレンスされている場面を散見するのです。そう、私が誰かに似ているのではなく、誰かが私に似ているフェイズ。
残念ながら浮かれたテンションのポストはほとんど見当たりません。うっすらとした悪口か失笑です。その手のポストを見ると、「そうか、私に似ているという状態は好ましいものではないのか」と、知らなくてもいい現実に打ちのめされることになる。だいたいがふくよかで眼鏡をかけている人を指しています。短絡的すぎませんか。先日なんか、某SNSで「ジェーン・スーに似てるって言われます!」というリプを、ご丁寧にご自身の写真付きでいただきました。もらい事故にもほどがあります。自ら名乗り出る山田がいるかよ。
そういえば、私も悪意ゼロの加害者になったことがありました。十年くらい前でしょうか。とあるドイツ人ミュージシャンに出会いました。雰囲気がそこはかとなくフレンチポップス的であったため、私は呑気に「フランス人っぽいね」と彼女に伝えました。途端に空気が凍り付き、見れば彼女は非常に不快な顔をしている。横にいた友人が私の袖口をグイと引っ張り、声を出さずに表情だけで責めてきました。ひと言も発さずとも「なんてことを言うんだ!」と叫んでいるのが伝わってきました。高校時代、世界史で常に赤点をとっていた天誅が、二十余年の時を超えて下ったのです。ドイツとフランスには、何度も戦火を交えた宿敵としての歴史があったことを私は二度と忘れない。
亜和さん、いつか竹中直人さんとお会いする日がくるでしょうね。まだ知り合って日は浅いけれど、次々と巡ってくる好機の質と量を拝見する限り、しっくりくるタイミングで起こるべきことが起こる人生のレーンに乗ったようにお見受けします。
亜和さん、いま会ってみたい人はいますか?
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見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)