
吉川英梨『新人女警』第6回
新人女性警官が未解決の一家惨殺事件に挑む! 二転三転する容疑者、背後で暗躍する指定暴力団、巧妙に張り巡らされた伏線――。ラストに待ち受ける驚愕の真犯人とは!? 警察小説の新たな傑作誕生!!
カミサクこと神山作は、一九七八年生まれの四十五歳、三崎町や中町界隈で複数の飲食店や風俗店を擁する、カミサクグループの会長だった。年商五億、風俗店はキャバクラから高級クラブ、女性向けの出張型マッサージクラブなど六店舗を経営しているが、きちんと届け出をしている。風紀係によると、これまで違法行為などで摘発されたことはないという。免許証写真を見たが、肌の浅黒いエキゾチックな美形だった。もう中年だが二十代に見えなくもない。
深夜零時前、エミは間中の後ろに隠れるようにして、西放射線ユーロードを歩いている。JR八王子駅から北西に向けて斜めに走る歩行者天国だ。京王八王子駅とつながる東放射線アイロードとは桑並木通りを挟んで線対称になっているが、こちらは車両の通行が可能だ。近くに官公庁の建物もある東放射線アイロードに比べ、西放射線ユーロードは雑居ビルに飲食店や風俗店がひしめく一帯にあり、治安が悪い。
深夜には酔客がポイ捨てするゴミが散乱し、路上飲みをする若者たちが食い散らかす。黒服やキャッチが闊歩し、呼び込みの風俗嬢が露出の多い服で行きかう。明け方には外国籍のホステスが平気で放尿する。通り沿いにある小さな三崎町公園では、酔客がベンチに大便していったこともある。間中が後ろに縮こまるエミを気遣う。
「やっぱり警察の制服を着てないと、女性は怖いよね」
夜勤のときはほぼ確実にこの界隈で事案が起こるので、エミは何度も駆けつけたことがある。警棒を振り回して殴り合いの喧嘩を止めたこともあるし、ひったくりを全速力で追いかけた日もある。逃がしてしまったが。
「そうですね、私、あまり夜遊びはしないので」
「山田巡査がいないから、カップルだと勘違いしてくれるよ。俺がいるから大丈夫」
楓は今日、夜勤で来られなかった。三崎町公園の脇を通る。『立つ女』という裸体の像の周りに、今日もたくさんのごみが投げ捨てられていた。西放射線ユーロードを南に曲がり、狭く入り組んだ路地に入る。飲み屋や風俗店が入る雑居ビルの前に立った。
「ここの五階だね。『バンデランテ』は」
神山作が経営する多国籍パブだ。彼はここがお気に入りで、よく飲んでいるという。同じビルの最上階にカミサクグループの本部がある。一階はラーメン屋、二階はタイ古式マッサージ店、三階はマージャン店で四階はホストクラブになっていた。非常階段の奥に古めかしいエレベーターがある。箱は四階で長く停まっていて、なかなか降りてこない。ようやく箱が来たと思ったら、女の子がこちらに背を向けて立っていた。一階だが降りようとせず、壁と向き合っている。髪が濡れて水がポタポタと垂れ落ちていた。幽霊か、薬物中毒者か――警察官として声掛けしたくなるが、今日は別件で来ている。エミは背筋を寒くしながら、間中と共にエレベーターに乗った。エレベーターはのろのろと上昇してなかなか到着しない。
「あの……大丈夫、ですか」
間中が女性の背中に声をかけた。「はい」という蚊の鳴くような返事があった。ようやく五階についた。狭い廊下に出る。エレベーターの扉が閉まった瞬間、「なんなんだアレ」と間中がぼやく。
「八王子の繁華街はやっぱり独特だよなぁ」
「源田さん、一時期は歌舞伎町交番にいたことがあるそうですけど、八王子の繁華街の方がいろんな意味で『怖い』って言ってました」
「いろんな意味、ねえ……」
言って顔をあげた間中は「え」と固まった。バンデランテの鉄の扉に『CLOSED』の看板が出ていた。間中は店のホームページを開き、営業時間を確認する。
「おかしいな、年中無休で営業時間は二十一時から五時のはずだけど」
カミサクグループ本部のあるフロアに行ったが、無人だった。小一時間ほどカミサクグループの店舗を回る。神山と接触できなかった。風俗女警の情報もつかめない。
翌日以降も、間中と楓、エミの三人で予定を合わせてバンデランテに向かった。だがいつ行っても臨時休業中だった。
「もしかして潰れたんじゃないの」
楓が言った。昼間にカミサクグループの本部を訪ねても「営業に関することも神山会長のことも個別の対応は差し控える」と政治家みたいな答弁で教えてもらえない。
一週間経った夕方、日勤だったエミは十七時十五分ちょうどに交番を上がろうとした。
「まだ終わってない日報があるような気がするけど」
源田が嫌味を言った。
「明日、早めに出勤してやります」
「アザレア事件で親友の仇討ちに奮闘するのかと思いきや、今度はなんの捜査に熱中しているんだい。よっぽど交番の仕事を甘く見ているんだね」
「私が動いているのは勤務時間外です。ほっといてください」
源田の嫌味にも慣れ、エミは最近、ちょっと反抗的な言い方をするようになった。源田はおもしろがっているふしがあり、全く怒らなかった。
間中が交番を訪ねてきた。今日は早めにカミサクグループの店舗を回るつもりでいる。
「バンデランテは営業時間が不規則らしいよ。二十一時開店とあるけど、常連が早くに来たら開けることがあるらしいって、口コミサイトに書いてあった」
「早めに開けたから、私たちが行った日にはもう閉店しちゃってたんですかね」
「いまバンデランテって言った?」
源田が口をはさみ、日報を取ってきた。一週間分の報告書を捲りながら、尋ねる。
「お二人が行って閉店していたのは、いつ?」
「一昨日と、四日前です」
一週間前も、と間中が付け足した。
「一昨日、僕は夜勤だったけど、バンデランテは開店していたよ。同じビルに入っているホストクラブで、自殺未遂騒動があってね」
入れ込んだホストの目の前で、少女がビルの非常階段から飛び降りたらしい。
「おかっぱ頭のまじめそうな子でねぇ。推しに言われるままドンペリ何本も開けちゃって、二十三歳にして借金二千万円。借金取りにバケツの水を浴びせかけられたり、風俗で働けと脅されたりして、追い詰められちゃったみたいね」
エレベーターで居合わせたずぶ濡れの女性のことだろうか。
「幸い、一命は取り留めたんだけど、通報したのがバンデランテのブラジル人ホステスだった。非常階段で煙草休憩中に落ちるところを見たらしくてね。僕が聴取にいったとき、バンデランテは開店中だったよ。店のソファで聴取したんだ」
エミは間中と顔を見合わせた。源田が指摘する。
「二人、顔が割れてるんじゃないの」
「出入国管理局の摘発だと思ったのかな」
イミグレの摘発の時期になると、オーバーステイのホステスは地下に潜る。
「一斉摘発は春と年末だよ。六月に警戒して地下に潜っている例は聞いたことがない。つまりあれだ。君たちが何を探っているのかわかってて、店を閉めている」
間中は半信半疑だ。
「誰が風俗女警を探しているなんて情報を漏らすというんだ。カミサクに接触するために動いていることは、僕やエミちゃん、それに山田巡査しか知らなかったはず」
エミは思うところがあり、貴重品入れのロッカーからスマホを出した。『いまどこ?』と楓にメッセージを送った。
『いま北野駅。もうすぐ京王八王子駅に着く』
エミは思いきってメールする。
『ごめん、間中さんが下痢で今日は中止になった』
なんで自分が下痢かと間中が抗議する。源田は噴き出すのをこらえていた。
「まあ、嘘はリアルな方がいいよね」
「ちょっと待って。俺ってリアルに下痢してそうってこと? そもそもなんで山田巡査に嘘情報を流すの? 今日これからバンデランテに行くんだよね」
「もちろん、行きますよ。楓に内緒で」
楓から返信が来た。
『昼に変なもの食べちゃったのかな~笑』
『私も同じものを食べたの。おなかゴロゴロしてる』
今日は中止という流れに持っていった。
二十一時、エミは改めて、間中とバンデランテの扉の前に降り立った。開店している。「ラッシャイマセー」と外国人ホステスが景気よくエミと間中を出迎えた。
カップルなの、お似合いだね、と外国人ホステスはやかましくしゃべった。オリビアと名乗る彼女は四十歳のブラジル人で、デコルテと胸の谷間にシミが広がっていた。顔立ちは整っていてかなりの美女だ。店内はさほど広くはないのに、店の中央にレトロなランドクルーザーがディスプレイされている。四つあるテーブル席も、カウンター席も満席だった。
「あのクルマ、かなりの場所を取ってますね」
いまも、黒服がやってきた客に満席を伝えている。
「あれはお店の守護神よ~。バンデランテ。開拓者っていう意味」
「ランクルじゃないんですか。トヨタのマークが入ってますけど」
「むこうじゃランクルって言わないの、バンデランテって名前で販売されてたのよ」
『バンデランテ』は一九七〇年代にブラジルで大ヒットしたトヨタ車だという。
「オリビアさんはこのお店、長いんですか」
間中が尋ねた。エミはこういう店での会話の接ぎ穂がわからず、苦手なお酒をちびちびと飲みながら聞き耳を立てる。
「うん、私ママだからね。十五年くらいいるよー。他の店にも顔を出すことあるけどね」
「経営者のカミサクさんがよく飲みに来ているそうですね」
「ツクルちゃん、ここの店のゲテモノ料理が大好きだから」
母親のような言い方で経営者を呼んだ。
「今日もツクルさん、来てますか」
「奥で飲んでるよー」
オリビアはあっさり教えてくれた。全く警戒していない。
「呼んでいただけますか」
「えーなんでオーナーと話したいのぉ。私の話、つまらなーい?」
間中は警察手帳を出した。オリビアはとても嫌な顔をして、ポルトガル語で悪態をついた。事情を聞いた黒服もこちらを睨んだが、厨房の脇にある劇場の出入口のような仰々しい扉の奥へと消えた。おそらくVIPルームだろう。
「あそこで飲んでるのかな」
八王子のアングラを知り尽くしたフィクサーといよいよ接触できる。
「風俗女警のことはもちろん、岬八粋会の内情にもきっと詳しいですよね」
「だろうね。組長の反崎、ヒットマンの朴――」
アザレア事件の容疑者二人だ。間中は苦笑した。
「なんだ、やっぱりエミちゃんもそっちが目当てか」
「そうじゃなきゃ、風俗女警探しなんかやってられないですよ」
黒服が皿を持ってVIPルームから出てきた。間中とエミのテーブルにやってくる。
「オーナーからです」
エミは皿に並べられた料理を二度見する。
「こちらはタガメの素揚げです。かじった途端にきんもくせいの香りがふんわりしますよ。隣が、コーカサスオオカブトの幼虫のナンプラー炒め。その横は蛹のしょうゆ漬け。真ん中にドーンと黒光りしているのが、成虫の素揚げです。塩を振ってぼりぼりいっちゃってください」
タイ名物のイーサーン料理だ。現地人のように手で食べろと言う。
「これを食えば、カミサクさんに会えるんですか」
間中は額に冷や汗が浮かんでいた。エミは慌てて止める。
「食べる必要ないですよ。本当に下痢しちゃいますよ」
黒服がクスリと笑った。楓とのやり取りを知っているかのようだ。やはり楓から情報が漏れていた。こんな昆虫食を出してきたところ、嘘情報を流したことの『意趣返し』か。
――のぞむところ。
エミは、迷っている様子の間中の横で、覚悟を決めた。黒服に尋ねる。
「一番おいしいのはどれですか」
「もちろん、昆虫の王様の素揚げです」
大皿の中央に居座る、立派な兜を持ったコーカサスオオカブトの成虫を指さした。固そうな殻が黒光りしている。体長は十五センチ近くあった。エミは塩を振りかける。間中が止めたが、エミはコーカサスオオカブトを手づかみし、頭からがぶりとかじった。尖ったつのがのどを直撃し、えずきそうになる。慌てて舌で転がし、歯で固い甲羅をかみ砕く。こういうものは意外においしいはずだと期待したが、くさくて苦いばかりで、塩や油のうまみを感じる程度だ。涙を流しながら咀嚼するエミを、拍手して迎える人がいた。たったいまVIPルームから出てきた、神山作だ。
「素晴らしい根性だ。さすが警視庁。僕ですらそれは食べませんよ」
エミはハンカチで口を押さえ、トイレにかけこんだ。カブトムシを全て吐き出す。
「風俗女警は、山田楓なんですね」
エミは通されたVIPルームで単刀直入に尋ねた。神山作はこざっぱりとした恰好をしていた。髪をツーブロックにしている。濃紺のスーツは高級そうだが派手ではなく、アクセサリーも一切つけていなかった。顔つきが派手なので目立つ存在だった。
「まあまあ、先を急がず。お口直しにどうぞ」
酒のメニュー表を渡された。エミがコーラを頼むと神山はずっこけて見せる。案外、ひょうきんな人らしい。
「そちらのお兄さんは」
間中は、目を白黒させてエミと神山を見比べている。
「山田巡査が当該人ってどういうことなんだよ」
「とりあえずビールにしますか。飲み物が来るまで待ちましょう」
神山が名刺をくれたが、しゃれたフォントで彼の名前がエンボス加工されているだけだった。肩書も住所も、連絡先すらも記されていなかった。
「こんなものもらっても仕方ないとか思ってます?」
神山が口角を上げた。
「八王子の繁華街で商売やってる人間は重宝しますよ。僕の名刺を見せるだけで、一目置かれますから」
「そんなことより、一体どういうことなんですか。山田巡査が――」
間中が先を急ぐ。神山は無粋だと言わんばかりに間中のグラスにビールを注いだ。
「他愛のない話を楽しみ、互いの口を軽くしてからしゃべりましょうよ。私はこんな商売をしていますからね、やはり警察さんとは仲良くしておきたいんです」
間中はビールを飲み干し、顎で店の中央にあるクロカン車を指した。
「あのランクル――いや、バンデランテはどうやって店内に運んだんですか」
神山が、よくぞ聞いてくれた、とテンションの高い声をあげた。
「あれだけバカでかいのがエレベーターに載るとは思えない。非常階段も無理でしょう。窓から吊り上げたのか? しかしランクルレベルのクルマを吊り上げるには大型のクレーンが必要だ。目の前の路地には入れないはずだ」
神山はあいたグラスを三つかき集め、間中に金を出すように言った。
「なにをするんです」
「いいから。不安なら一円でいいんです」
間中は神山と張り合おうとしているのか、一万円札を出した。神山はその一万円札を意味ありげな手つきで指の間に挟み、真ん中のコップに入れた。懐から出した白いハンカチを上からかぶせ、ぱちんと指で鳴らす。
「諭吉はどこでしょう」
「真ん中のコップの中だ」
神山がハンカチを取った。一万円札は消えていた。間中は冷淡だ。
「すぐに返してくださらないと、窃盗で現行犯逮捕します」
「もうお返ししました。あなたのジャケットのポケットに」
間中がスーツの外ポケットを探る。本当に一万円札が出てきた。
エミは思わず拍手した。間中は白けている。
「さっきからうろちょろしているウェイターがこっそり忍ばせたんでしょう」
「というわけです」
「なにがですか」
「バンデランテをどうやってこの店内に持ち込んだのか」
「手品で運び入れたとでもいうのか」
エミは間に入り、神山を見据える。
「どうでもいいじゃないですか。楓の話を先にさせてください。八王子の風俗店でアルバイトをしているのは楓だった。いますぐ店を教えてください」
「いいですよ。彼女、今日の夜あなたたちの下痢情報を信じてドタキャンを受け入れ、でも八王子には来てしまったので、急遽、出勤しているようですね」
神山がスマホで、風俗店のサイトを見せた。『ゴールデンボール』という店だった。生活安全課の風紀係が作った最新のリストにはない店だ。
「ホストクラブとズブズブの違法ピンサロです。借金漬けの女の子になんでもやらせて上前をはねているんですよ。所詮は素人ですから、ソープでは使えないし」
ソープランドはマットプレイなどを要求されるプロの世界なので、素人は違法ピンサロで脚を開くのだと神山は自説を説いた。ピンクサロンと呼ばれる形態の店は、建前は飲食店なので、個室にテーブルとソファがあり、必ず飲み物が出る。
あけすけに語る神山に、間中は不信感を持ったようだ。
「それ、警察に言っちゃっていいんですか」
「いいに決まっているじゃないですか。私が経営しているのは全て本番NGの法令順守店ですよ。違法な格安店に客を取られますから、摘発してほしいんです」
「摘発してほしいなら警察に通報したらいい。本物の女警が風俗店にいるぞと女警好きの俳優に紹介するということは、店を儲からせるようなものじゃないか」
「あのね、時に情報というのは大金をもってやり取りされるほど価値のあるものなんです。私は情報を持っている。あちらは情報を欲しがっている。そこに対価が発生する。ただそれだけのことですよ」
間中がエミに問う。
「君はなぜ山田巡査が件の女警だとわかったんだ?」
「そもそもこの捜査を間中さんから聞いたときから、楓の態度が不自然だと思っていたんです。特に時代劇俳優と友理奈さんの件」
友理奈をターゲットにしたとき、楓は異様に張り切っていた。
「決めつけているようにも見えました。それから、こちらが来店するのを察しているかのように店が閉まっているのを見て、思い出したんです」
楓はいつの日からか時間を分で表現するようになった。一時間半後のことを「九十分後」と言ったときもある。
「警察官っぽくないです。一時間半後の時刻をより正確に表現するなら、実際の時間、例えばヒトキュウマルマルなどと言うのが警官です。風俗店はサービス時間を分で表しますから、楓の口癖は警察官というより風俗嬢のようだと思っていたんです」
「素晴らしい!」
神山は拍手をしたが、仰々しい態度に却って白ける。間中が神山に指摘する。
「僕らがなかなかあなたに接触できなかったのも、山田巡査が手を回していたからですよね。法令順守の優良店しか経営していないあなたが、どうして我々警察を避ける必要があったんですか」
神山は部下に命令し、突如、ドンペリを持ってこさせた。エミも間中も断った。
「お代はいただきませんから、遠慮なく」
鼻にかかる気取った声で言った。エミと間中にグラスを持たせ、ドンペリを注いだ。ビール一杯、菓子折りのひとつ二つならまだしも、ドンペリは高級すぎる。利益供与になりかねないので、エミも間中も手をつけなかった。
「だってあなたがた、アザレアおおるり台事件の関係者でしょう。間中さんは特捜本部の人。そしてあなたは第一発見者」
「ドンペリを注いだ途端にあの事件に触れる。つまり、訊くなということか」
間中が前のめりになった。
「訊いても結構ですよ。何も知りませんから、答えようがありません。いずれにせよ、あの事件のせいで我々八王子のアングラ界隈は非常に迷惑しているんです」
「岬八粋会が容疑者候補だからですか」
エミが尋ねた。間中が畳みかける。
「つまりここは、地元の暴力団の息がかかった店。あなたも関係者ですか」
「違いますよ。いまどき暴力団とつるんだっていいことないでしょう。だけどね、眠れる獅子を起こしたくはないんです」
暴力団とのいざこざは極力避けたい、ということか。
「暴対法だか暴力団排除条例だか知りませんが、頭のいい人たちが考えたただの文章でしょう。怒れる獅子に条文を読み上げたところで、任侠の人たちなんですから、なにかあったら生きるか死ぬかしかない。暴力で解決する」
神山は突然、VIPルームの外に向かって「アール!」と叫んだ。誰か人を呼んだようだ。そのまま続ける。
「私は八王子の平和を守りたい。岬八粋会は眠らせておく。それだけです」
スマホを出した。ニコニコしながらエミの連絡先を聞いてくる。
「ゴールデンボールのサイトを送りますよ」
完全に神山のペースでエミは連絡先を交換した。届いた店のサイトをクリックする。『今日の女の子の出勤状況』の中に楓がいた。目にモザイクがかかっているが、黒髪のショートカットにすらりとした体型でわかる。胸の谷間を強調するようなポーズを取っている。源氏名は『むうちゃん』だった。
「場所はどこですか」
「電話をかけたあとに店員と待ち合わせして、店舗に案内してもらうシステムです。あなたがたは警察だと顔が割れているから待ち合わせ場所に到着した途端に店員が飛びますよ。うちのを使ってください」
いつの間にか、背の高い痩せた男性がVIPルームに控えていた。Rと呼ばれた彼は神山に確認し、スマホで店舗に電話をかけた。
「むうちゃんお願いします。いま三崎町で飲んでいます。何時からでもOKです」
楓はいま接客中らしい。午前一時にドンキー・ホープという総合ディスカウントストア前で店員と待ち合わせることになった。神山が「さて」と膝を叩いた。
「八王子のお巡りさん方。私は岬八粋会がケツ持ちの風俗店を一軒、警察に売りました」
見返りを求めると察し、エミは緊張する。間中も顎を引いた。
「金輪際、この店には来ないでいただきたい。私を訪ねないでください。私は警察の犬として岬八粋会に狙われることになります。私の傘下の店にカチコミがあるかもしれない。若いお二人の手に負えない事態に発展しかねませんよ」