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心身とはよく言ったもので、肉体の疲労は精神の疲弊を呼び起こす――中山七里「特殊清掃人」第18回

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特殊清掃業者の〈エンドクリーナー〉。
そこには日々、様々な依頼が寄せられる。

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三 絶望と希望

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 腐敗液と清掃に使用した捕虫網やタオル類を入れた専用容器を置くと、近くに立っていたゴミ処理場の職員が冷ややかな目でそれを見た。

 冷ややかな視線に悪意はないと分かっていても、しらは緊張してしまう。体液の付着した廃棄物は全て感染性廃棄物となり、他のゴミと一緒にできない。専用容器に一切合財を放り込み、指定された場所に搬入し、中身ごと焼却処分される。徹底的な処理を施すのは二次感染・三次感染を防ぐためであり、法令にも定められている。

「じゃあ、よろしくお願いします」

 白井が頭を下げても、職員は無言で容器を焼却炉のある方へ運んでいくだけだ。作業の疲れも手伝って、白井は腹を立てる気力もなくワンボックスカーへと戻る。着ていたタイベックを脱ぐと、全身から汗が滝のように流れ出た。クーラーボックスに冷やしていたスポーツドリンクをひと息にあおって、ようやく人心地がついた。

 五分ほど小休止を取ってから車を出す。既に日は暮れかかっている。本音を言えばこのまま自宅に直帰したいところだが、本日はもう一件の特殊清掃がスケジュールに入っているのでそうもいかない。

 もうひと踏ん張りと己を鼓舞してみるが、肉体よりは精神に蓄積した疲労が挫けさせる。

 白井ひろしは就職を意識する頃から、3Kと呼ばれる職業にだけは就くまいと固く決めていた。ところが最初に勤めたイベント企画会社がコロナ禍のためにあっさり倒産してしまい、慌てて再就職の口を探したものの、どこの業界も軒並み冷え込んで新規採用を渋っていた。
 
 家賃の支払いも滞り始めたので、とにかく時給の高い求人募集を探していると〈エンドクリーナー〉に行きついた。特殊清掃をゴミ屋敷や汚部屋の掃除くらいに捉えていた白井は履歴書を携えて面接に臨み、見事採用された次第だ。

 だが特殊清掃の「特殊」たる所以ゆえんは量的なものよりは質的なものであると分かってくる。腐乱死体が放置されていた部屋、血液をはじめとした体液が床一面に浸潤し、部屋中をハエやうじむしうごめく物件と知っていれば二の足を踏んでいたはずだ。

 実際に従事してみるとキツイ・キタナイ・キケンの3Kとは特殊清掃のためにある言葉ではないかとさえ思えてくる。防護服と防毒マスクを装着したままの作業は体力を削り、現場は体液と排泄物の溜まり場で、清掃には絶えず感染症に罹患するリスクが伴う。

 初日には嘔吐感から抜け出せず、夕食が喉を通らなかった。

 二日目には不注意から体液を地肌に浴び、皮膚がけるかと思えるほど洗浄し消毒する羽目になった。

 入社三日目にして早くも転職を考えたものの、就職サイトを閲覧して断念した。

 一週間も働き続けると、身体が仕事に馴染んできた。相変わらず体液や異臭には慣れなかったが、時給のいい仕事はこんなものだという一種の諦観が身についたのだ。キツくとも危険であっても、毎日同じ作業を繰り返していくに従って感覚は鈍麻するものらしい。何より毎日が多忙に過ぎ、考える間もなかったというのが正直なところだ。給料日には予想以上の支給額に驚かされ、あまつさえボーナスが出た時には日頃の3Kも忘れたくらいだった。
代表を務めるの人となりも悪くなかった。当時は代表一人従業員一人だったので二人で現場に向かうのがほとんどだった。時折べらんめえ口調になるものの、意外に繊細で面倒見がいい。特殊清掃に対する考え方には一本筋が通っており、白井に職務の動機づけをしてくれる。

『特殊清掃ってのは、住まいに染みついた怨念まで拭い取ることだ。坊さんみたいに人を成仏させるのは無理な相談だが、少なくとも部屋をはらうことはできそうじゃないか』

 部屋を祓うという考え方は白井の耳にも清新に聞こえた。つまり高給と尊敬できる上司の存在が3Kの悪条件をりょうしていたのだ。

 だが最近になって、またぞろ悪条件に対する不満が頭をもたげてきた。今よりは多少収入が減じても、もっと楽な仕事があるのではないかと思い始めたのだ。

 原因の一つがあきひろすみの入社にあるのはほぼ間違いない。面倒見のいい五百旗頭が本領を発揮して彼女に手取り足取り教えるため、ワンルーム程度の物件なら白井一人に丸投げする状況になったのだ。

『白井くんなら、もう任せても大丈夫だと思うんだよ。元から勘もいいし機転も利くしさ。現場処理能力は高い』

 評価されて嬉しくない者はいない。五百旗頭の言葉に鼓舞されて単独での清掃作業を始めてみれば、確かに一人でこなすことが可能だった。ここしばらくはずっと単独業務が続き、それにつれて現場での判断力も向上したが、比例して肉体の疲労が蓄積してきた。心身とはよく言ったもので、肉体の疲労は精神の疲弊を呼び起こす。土日の休日だけでは、とても回復できそうにない。

 そろそろ転職の時期かもしれない。そんな風に考えているうち、ワンボックスカーは事務所に到着した。

「戻りました」

「お疲れ様」

 五百旗頭がねぎらいの言葉を掛けると、遅れて香澄も声を上げる。ただし彼女は伝票処理に忙しく、こちらに顔を向ける余裕もなさそうだ。

「悪いな、急なダブルヘッダーで」

「いいスよ。次もワンルームでしたよね」

「場所はしんいわの中古アパートだ。ホトケさんは二週間ほど放置されていたらしい」

「住んでいたのは、どういう人だったんですか」

 既に遺体となって運び去られた住人の個性には関心がない。重要なのは性別と年齢だ。女性よりは男性、老人よりは若者の方が腐敗臭はひどい。

「三十歳、独身男性。死因は熱中症だと聞いている。年齢は白井くんに近いな」

 縁起でもないと思ったが、昨今若年層の孤独死が増えているという。独り身の白井にとっても他人事ひとごとではない。

「1Kで、ゴミもさほど溜まっていないと聞いている」

「それなら今日中に終わらせますよ」

「先方には最低でも二日みてくれと言ってあるから、そんなに急がなくていいよ。もう五時過ぎだし、今日のところは見積り出すだけで構わないから」

 明日できる仕事を今日するな、というのが五百旗頭の信条らしいが、今回の指示には白井の体調を気遣っている様子がうかがえる。自己申告した訳でもないのに、白井が疲れているのを見てとったのだろう。

 ずるい上司だと思った。転職を考え始めている時を狙いすましたかのように人の機微を読んでくるから、なかなか踏ん切りがつかない。

 使用済みの容器を交換し、新品のタイベックを用意する。これでいつでも現場に入れる。

「第二便、行ってきます」

「おう、行ってらっしゃい」

 手渡されたペラ一枚には物件住所の他、依頼人の連絡先と原状の概要が記されている。再びワンボックスカーの運転席に滑り込んでから、住所確認のため改めて目を通す。

『葛飾区新小岩四丁目〇-〇』。新小岩周辺には条件さえ選り好みしなければ、家賃五万円程度の格安物件が簡単に見つかる。新築物件なら気密性も保たれているので、特殊清掃するにも好都合だ。対象物件も新築であってくれたらよかったのに。

 依頼内容は『原状回復』と月並みだ。ゴミがさほど溜まっていないのであれば、体液の浸潤した箇所を洗浄もしくは建材の取り換えで済むだろう。

 二年も従事していれば、おおまかな情報だけで清掃の規模が見えてくる。死体の発見状況や部屋の散らかり具合が特筆すべき内容なら、ちゃんと特記事項に記載される。なるほど、確かに白井一人でこなせる案件だ。

 まあ楽勝の部類か。気楽になって最下段の項目まで読んでいくと、普段であれば何の関心もないことに目が留まった。

『住人氏名 かわしまるい

 重要なのは性別と年齢。住人の氏名などなくても構わない、はずだった。
 だが、白井の目はその氏名に釘付けとなった。

 まさか。

 だが苗字の川島はともかく、瑠斗という名前はそうそうある名前ではない。無論、同姓同名の可能性はあるが、確率は低い部類だろう。

 幾分気楽に構えていた白井はにわかに緊張する。とにかく依頼主に会って、事の次第を確かめる必要がある。白井は逸る気持ちを抑えてワンボックスカーを発進させる。

 学生時代はモラトリアムの期間であり、キャンパスの中は城壁に護られた治外法権の国でもある。その中にいれば微温ぬるまのような快適さの中で自由気ままな夢を見ることができる。

 白井の見た夢は在学中にミュージシャンとしてデビューすることだった。学生バンドは珍しくなく、インディーズからメジャーデビューを果たした者たちが脚光を浴びていた。

 白井が組んでいたのは学内の三人と学外の一人で構成された4ピースバンドだった。ボーカル・ギター・ベース・ドラムといった構成で、白井はドラムを担当していた。思い出すのも気恥ずかしいが〈みかろん&スーパー・ラディカル・バンド〉と名乗り、学祭やライブハウスに出没した。ボーカルの声に魅力があったお蔭か、そこそこの人気を博し、白井は密かにメジャーデビューを夢見ていたほどだ。他の学生のように三年になって就職課窓口に日参することもなく、自分たちの音楽だけを考えていればいい。デビューは就職そのものであり、サラリーマンに身をやつした同級生を尻目に、自分たちは音楽作りに邁進する――そんな夢を思い描いていた。

 そのバンドで作詞作曲兼ベースギターを担当していたのが川島瑠斗だった。       

前回(第17回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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