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同族が生物から静物へと変わる時の臭い。絶望と無情を嘔吐感とともに思い出させる臭いだ。――中山七里「特殊清掃人」第19回

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《エンドクリーナー》の従業員・白井寛。彼の同級生が孤独死をしていた。

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 川島は音楽センスに秀でていたこともあり、バンドのリーダーを任じていた。特に押し出しが強いタイプではなかったが、冷静な判断力と調整型の性格は、個性豊かなバンドメンバーを統率するのにうってつけの人材だった。

 その川島が特殊清掃対象物件の住人だという。言い換えれば孤独のうちに死に、その後二週間ほど発見されなかったのだ。

 馬鹿な。

 川島瑠斗に限って、そんなことがあるはずがない。きっと何かの間違いだろう。

 不安と恐怖を押し殺しながら、白井は依頼者の許へと向かう。

 依頼者のいしは〈エンドクリーナー〉の到着をひどく喜んだ。

「待ってたのよー。一日千秋の思いってこういうことかしらね」

 よくあるパターンだが、石井宅と同じ敷地にアパートが建っている。聞けば親からの遺産とのことだった。

「とにかく一刻も早くハウスクリーニングして入居者募集したいのよ。事故物件だから相場より一割減にしろって管理会社がうるさいけど、空き部屋は絶対に作りたくないのよ」

 快活な喋り方だが、顔には悲愴さも窺える。

「ホントに二日間でクリーニング、終わるのよね」

「実際に現場を見てみないと断言はできませんが、1Kの物件ならまあそのくらいで」

「助かるわー」

 白井は何気なく家の中を見回す。多少古くはあるが調度品も安物ではなく、生活に困っているような雰囲気ではない。

 こちらの疑問を察したのか、眞希子は弁解がましく言う。

「相続した時はさ、何もしなくても不動産収入が入ってくるからラッキー、みたいな気分だったのよ。ところが大家を始めたらさ、月々の管理費やら修繕費やらで大変なのよ」

 眞希子がハウスクリーニングを急いでいる理由は理解できた。では一番確認したかった疑問をぶつけてみよう。

「住んでいたのは川島瑠斗という男性でしたね」

「ええ。以前は月々ちゃんと家賃を収めてくれていたんだけど、勤め先をクビになってから滞っちゃって。川島さんが熱中症になったのも、電気を止められてクーラーが動かなかったのが原因みたい」

 明るい口調が白井の胸を刺す。死んだのが自分の知る川島なら、これほど惨めで残念な死に方はない。

「この写真を見てくれませんか」

 白井は自分のスマートフォンを差し出す。表示されているのは、たった一枚残していた、在りし日の〈みかろん&スーパー・ラディカル・バンド〉の集合写真だった。

 眞希子の反応は恐れていたものだった。

「あーそうそう、端でギターを抱えているのが川島さん。だけどこれ何年前の写真なの。ずいぶん若いのねえ、学生さんの頃かしら」

 氏名と年齢、顔も一致している。死んだのは、あの川島瑠斗に間違いなさそうだった。

「特殊清掃の情報として必要なのでお訊きしますが、遺体はどんな状態で発見されましたか」

「発見て言うかねえ」

 眞希子は途端に歯切れが悪くなる。

「家賃の滞納分だけでも払ってもらおうと思って部屋に行ったのよ。インターフォン鳴らしても応答ないし。居留守かと思って電気メーターを見たら、ぴくりとも動いていないの。それで変だと思って」

「留守なら電気メーターが動いていないのは当然じゃないんですか」

「違うのよ。今はどんな家電製品もスタンバイ状態で待機電力を消費するから、何もしなくてもゆっくりゆうっくりメーターが回るようになっているの。それがぴくりとも動かないのは電気が止められた証拠でしょ」

「確かにそうです」

「それでドアポストの隙間から名前を呼ぼうとしたの。でも、その寸前に、とんでもない悪臭を嗅いじゃって……普通の臭いじゃなくて、本当は嗅いだら駄目な臭いだと思った。それで警察に通報したの」

 嗅いではならない臭い、という表現は腑に落ちた。人間の死臭は他の何にもたとえようがない臭いだ。同族が生物から静物へと変わる時の臭い。絶望と無情を嘔吐感とともに思い出させる臭いだ。

「警察が部屋に入って川島さんが死んでいるのを発見した。死後二週間は経過していて一部は白骨化していたって。だから正確には、わたしは発見していないの。発見したのはお巡りさん」

「それからどうなりましたか」

「葛飾署の人たちが捜査した結果、事件性なしと判断したのよ。緊急連絡先は聞いていたから実家のご両親に連絡して遺体と部屋にあったスマホと札入れだけを引き取ってもらった。それがつい昨日のこと」

「スマホと札入れ以外の遺品はどうしたんですか」

「まず遺体をに付すのが精一杯で、警察が踏み入った後は誰も出入りしていないのよ。と言うか入れる状態じゃないし。だから〈エンドクリーナー〉さんには遺品整理もお願いしたいの」

「了解です。じゃあ早速部屋に入らせてもらうので、鍵を貸してください」

「え。今から」

「取りあえず見積りだけでもしておきます」

 屋外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。対象物件のアパートの窓からはいくつか明かりが洩れている。

 暗くて助かった。昼間、タイベック姿でいると目立って仕方がない。しかも未だコロナ禍が終息していない折、保健所の職員と間違われるとひと騒動起きてしまう。

 対象物件は一階の端、105号室となる。白井は防護服と防毒マスクに身を固め、いよいよ問題の部屋に足を踏み入れる。

 懐中電灯だけで部屋全体が見渡せる。なるほどゴミは思ったよりも少ない。都指定の45ℓゴミ袋が五袋だけ玄関近くに置いてある。家具もそのまま手つかずのままと思われる。

 問題はベッドだ。真ん中に人のかたちをした褐色の染みが描かれ、床板まで垂れている。液体は垂れた先に溜まり、放射状に広がっている。

 体液でできた溜まりには無数の蛆が蠢き、空中には霞かと思えるほどのハエが飛び交っている。確かに眞希子がこの様子を目の当たりにすれば、ひと息吐く前にさっとドアを閉めきるに違いない。

 蛆やハエばかりではない。未清掃の部屋には肉眼では捉えられない病原菌や害虫が潜んでいる。白井のような重装備をしていなければ十秒と中にはいられないはずだ。

 部屋を見回していると書棚に目がいった。近づいてみると書籍やCDに交じってフォトスタンドが立ててある。写真に視線を移した白井は胸が潰れそうになる。

 自分も残していた、たった一枚の〈みかろん&スーパー・ラディカル・バンド〉の写真だった。

 この世でこの写真を持っているのはバンドのメンバーである四人しかいない。

 お前、本当に死んじまったのかよ。

 不意にマスク越しの視界がにじむ。手で拭えないのがもどかしい。

 ベッドサイドに回ると、更に別の遺品が見つかった。

 ベースだ。

 仔細に調べるまでもない。川島がバンドを組んでいた頃から使っていたベースに相違なかった。フレームに汚れのついた箇所もあるが、弦とフレットは手入れが行き届いている。

 写真とベースを見ただけで様々な感情が湧き起こってくる。冷静な判断を下せる自信がなくなり、白井は早々に退去することを決めた。

 こんな精神状態のままでは必ず何かミスをしでかす。

『特殊清掃はただの掃除じゃない。いつも感染症と隣り合わせの仕事だ。原発の作業員と同等の集中力と注意力が要る』

 五百旗頭が口を酸っぱくして言っていることを思い出す。完全装備していると感覚が麻痺しがちだが、自分は間違いなく危険な場所に足を踏み入れている。それを忘れてはならない。

 玄関ドアを開けて素早く外に出る。異臭やハエの類を拡散させて近所迷惑とさせないための配慮だが、今は己の逡巡を断ち切るための所作でもある。

 ワンボックスカーに戻り、タイベックを専用容器に投げ入れる。部屋にいたのは五分かそれとも十分か。いずれにしても、心身ともにどっと疲れた。汗でぬらぬらとした顔を冷えたタオルで拭っても、胸にまとわりついた戸惑いは取れないでいる。

 落ち着け。

 運転中だぞ。

 己を叱咤しったして前方に注意を向ける。今は安全運転に徹して、とにかく社用車を会社に届けることだ。

 慎重の上にも慎重を期してハンドルを握り、ようやく事務所に到着する。キーを返す際、五百旗頭から顔をのぞき込まれた。

「どうかしたのかい、白井くん。対象物件に何か問題でもあったかい」

「いえ。見積りだけでしたから特には」

「一人でやれそうかい」

 相変わらずの勘の良さに舌を巻く。だが気遣いはうれしいものの、これは白井の個人的な問題だ。

「大丈夫ですよ」

「そうかい。じゃあ頼むわ」

 深追いしてこない心遣いも有難かった。

 自宅アパートまでは電車と徒歩だ。お蔭でたっぷり考えにふけることができる。満員の車内は却って孤独に浸れるものだ。

 大学に入学した頃はGReeeeNやflumpool、そしてSEKAI NO OWARI(デビュー時は「世界の終わり」と表記していた)などがメジャーデビューを果たし、ちょっとしたバンドブームだった。白井も高校時分からドラムを叩いていたので、川島からバンドに誘われると二つ返事で加わった。白井より先に参加していたのがボーカルのみかろんことやまぐち、最後にギターのまつさきゆうが加入してバンド結成と相成った。

前回(第18回

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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