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「人には看取られず機械に看取られる死か。あまりぞっとしない話だな」――中山七里「特殊清掃人」第10回

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ベンチャー企業〈イネ・ライジング〉の社長が急死した。たちは、捜査状況を教えてもらうために新宿署に向かう。


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   は元々のキツネ目を更に細くして抗議する。

「まあ、署では事故死として処理したんで、流して困るような情報も少ないんですが」

「持病でポックリ逝くような年齢でもないんだろ」

「四十代半ばの働き盛り。〈イネ・ライジング〉ってベンチャーを立ち上げていました」

「若くして社長か」

「独身を謳歌していたみたいですね。近隣住民によると、複数の女たちをとっかえひっかえしていたって話ですよ」

「その独身貴族がなんだって孤独死なんて羽目になるんだい。女をとっかえひっかえしてたんなら、連絡が途絶えた時点で誰かしらマンションに直
行するだろう」

「とっかえひっかえしていたから余計に孤立していたんですよ。女と一緒にいる時は、他の女からの電話を着信拒否にしていたって話ですから」

「ひでえ野郎だな」

「そういうのに限ってモテるんですよ」

「……ひでえ世の中だな」

 横に座るすみの反応を確かめると、彼女はふんまんる方ないという顔をしている。してみれば女性の側から見てもひどい男であるらしい。

「死体はどんなあんばいだったんだい」

「シチューですよ。シチュー」

 には、そしておそらく香澄にもシチューの意味する状態は理解できる。

「風呂場で見つかったんだな」

「入浴中に死亡したようなんですが、一人住まいの上、風呂に追い焚き機能がついていました。後は説明不要でしょう」

 誰にも気づかれぬまま入浴中に急死し、風呂温度は追い焚きされて熱さを保ち続ける。死体はあつの中で腐敗を急加速させ、やがて肉や組織が溶け出す。人間シチューの出来上がりという寸法だ。

「最新の設備ではなかったので、追い焚きの自動停止装置もついていなかったのが災いしました。一週間もの間、摂氏四十二度の熱湯に浸かり続けたら人体がどうなるか」

「まあ残るのは骨だけか」

「検視のしようもありませんでした。骨に打撲痕もなく、内側から鍵が掛かり部屋に第三者が侵入していた形跡もないことから、ヒートショックによる死亡と判断されました。先月の終わり、真冬並みに寒い日が続いたじゃありませんか。冷え切った洗面所から四十二度の湯に入った途端、血圧が乱高下したんでしょうね」

はまだ四十代だろう。心臓に何かの持病でも抱えていたのか」

「元々高血圧だったみたいですよ。昨年の定期健診で医者から食事制限を勧告されています」

「死体発見者は」

「会社の部下と管理会社の担当者ですよ。伊根は毎日出勤するタイプの経営者ではなく、要所要所で指示を出していました。そもそも自宅を事務所代わりにして会議もオンラインだったそうで。ところが連絡しても電話に出ない、メールにも返信がない。いくら何でも変だというんで、部下の一人が自宅マンションに直行したって次第です」

「よく変事があることに気づいたな」

「前兆があったんですよ」

 諏訪は至近距離で悪臭を嗅いだような顔をする。

「浴槽に溜まった腐敗臭が排水口から他の階に拡散し、入居者から管理会社に苦情が殺到したんです」

 過去に何度も聞いた話だ。ヒトの腐敗臭はヘドロよりも強烈で、ほんのわずかでもひどく臭う。浴室乾燥機を使用した場合は更に顕著だ。濡れた洗濯物に排水管からの腐敗臭が染み込み、とんでもない仕上がりになる。一度繊維に染みついた腐敗臭は何度洗おうがどんな消臭剤を使おうが完全に消去できず、結局は廃棄せざるを得ない。

「伊根と連絡が取れないと告げられた管理会社の担当者は、すぐに察したのでしょうね。合鍵持参で現場に駆けつけ、伊根の部下とともに死体を発見したという次第です」

「検視のしようがなかったと言ったな」

「肉はもちろん胃の内容物まで溶け出しているんで死亡推定時刻も不詳です。それでも十月二十七日の午後八時辺りと見当をつけたのは、最初に風呂の沸いた時刻が湯沸かし器に記録されていたからです」

「人には看取られず機械に看取られる死か。あまりぞっとしない話だな」

 諏訪は同意を示すように浅くうなずいた。

「伊根に家族はいなかったのかい」

「いませんね。両親とはとうの昔に死別。遠縁の親戚がいるらしいんですが、遺骨を引き取ったのは大家さんでしたからね」

 少し意外な感があった。てるは入居者への同情もあったということか。買い取り価格に固執するさまからはそうした一面を感じられなかったが、五百旗頭の人を見る目が未熟なのだろう。

 新宿署の正面玄関を出る際には、既に香澄が憂鬱な顔をしていた。

「浴槽の中で死んでいたと聞いて腰が引けたかい、あきひろちゃん」

「浴室というのは前にも経験しましたけど、浴槽内というのは初めてです。さっきの刑事さんの話から想像すると、ちょっと」

 確かに人肉シチューというのは嫌でも想像力をたくましくさせる題材だ。自分たちのように特殊清掃をなりわいとしている者なら、よりリアルな状況を思い浮かべることが可能なので尚更だ。

 死体は警察が片づけたから問題はないだろうというのは、事故物件を実際に見たことのない素人のたわごとだ。死体がないからといって平穏とは限らず、浴室だからといって何から何まで流れている訳ではない。いや、五百旗頭の経験則によれば浴槽内で死んだ事故物件は、惨状という点では一、二を争うものではないか。

 特殊清掃で特に留意するのは体液の扱いだ。浸潤した体液は建築材料を台無しにしてしまう。言い換えれば流れ出た体液の量が特殊清掃もしくは交換の範囲を決定する。

 浴槽内での死は、張った湯全てが体液に変質することを意味する。従って清掃に関わる処理や、交換を考慮すべき建材が圧倒的に多くなる。香澄が憂いているのはおそらくそこだ。

 そしてもう一つ、体液が多くなればなるほど清掃人に付着しやすくなる。単に臭いが取れないだけでなく、感染症を引き起こす確率が高くなるのだ。

 五百旗頭に抜かりはない。入居者が浴室で死んでいた事実を入手した時点で最悪の事態を想定していたので、万全の装備で臨んでいる。新たに必要なのは香澄の覚悟だけだった。

「雑な言い方になるが百聞は一見にかずでさ。あれこれ想像して怖気おじけづくより、現場を一度経験した方がずっと楽だぞ」

「ホントに雑な言い方ですね」

 香澄はにこりともしない。

「今度から髪を短くしようかと真剣に悩んでいるんです」

「失恋でもしたのかい」

「違いますよ。特殊清掃していると、仕事一件ごとに三回はシャンプーしないと臭いが取れないからです」

 そういう意味かと五百旗頭は納得する。法医学教室に勤める知人も似たようなことを言っていた覚えがある。

 ヒトの死臭は他にたとえようがなく、しかもどんな臭気よりも粘着質でしつこい。防護服で完全装備しても尚、髪は臭いが付着しやすいので五百旗頭自身も丸刈りにしようと考えたことがあるくらいだ。女性なら尚更だろう。何かの手違いで体液に満たされた浴槽に手足を突っ込む事態を想像すれば、逃げ出したくなるに違いない。

「一番手っ取り早いのはスキンヘッドにすることだな」

「わたしには似合いそうもないです」

「これも雑な言い方なんだけど、どんな商売にもリスクはあるさ。給料ってのは、そのリスクの対価みたいなもんだからなあ」

「分かってます」

 やがて二人を乗せたワンボックスカーは西新宿の現場に到着した。中古マンションとは言え、まだ築十年ほどで特に古さは感じられない。西新宿駅にも近く、伊根がねぐらにしていた理由がうかがい知れる。

 十二階建てビルの十一階、1105号室が当該の部屋だ。こうした高層階での特殊清掃は他の住人への配慮がより重要になる。防護服のままエレベーターで行ったり来たりでは病原菌を撒き散らす結果になりかねず、当該部屋の前で何度も着替える羽目になる。道具や補給用の飲料水を予め運んでおく必要もあり、手間暇がかかるが、我が身の安全と近隣住民への配慮を両立させるためにはそうするより他にない。

 エレベーター内では引っ越し業者のように見え、部屋の前では保健所職員のように見える。五百旗頭たちが特殊清掃人だと看破する者はあまりいないだろう。

「今が肌寒い季節で助かりました」

 防護服を着込みながら香澄はしみじみと言う。

 今回の仕事はレベルCの対応プラスアルファで臨んでいる。レベルCの必須装備は化学防護服(浮遊固体粉塵及びミスト防護用密閉服)、化学物質対応手袋(アウター)、長靴、自給式空気呼吸器、酸素呼吸器又は防毒マスクだが、それ以外にもナイロン生地のインナーを着込み、体液が皮膚に触れるのを二重に防御している。

「夏なら五分で汗だくになる重装備ですよね、これ」

「冬でも十五分で汗だくになるよ」

「臭いがつくよりずっとマシです」

 装備を終えてからいよいよ臨場する。管理会社から借りた鍵でドアを開けた瞬間、不穏な空気が吹き出てきた。

 実際、マスクと防護服に身を包んでいるので臭気も湿気も温度も感じない。しかし五百旗頭には不穏としか形容できない。信心深い方ではないが、孤独のうちに死んだ者の住まいには明らかに残留思念なるものが存在していると思っている。部屋に足を踏み入れた刹那、どんよりとした気配が肩に伸し掛かり、禁忌に触れるような罪悪感が足元から立ち上る。

 幸か不幸か香澄やしらはこの感覚が希薄らしく、現場で不快そうであってもおびえた表情は見せない。だからと言って五百旗頭が迷信深いという訳ではなく、これはおそらく体質と経験則によるものだ。

 捜査一課で死体発見場所に臨場していた頃から、この感覚があった。死体が搬出された後であっても、ざわざわと背筋に悪寒が走る。そこに死体が横たわっていたと知らされずとも同じ目に遭ったので、決して気のせいではない。霊能力者とまではいかずとも、五百旗頭には無念の死を迎えた者の思念を受信する能力があるのだ。

 もっともその能力は五百旗頭に限ったものではなく、犯行現場を渡り歩いてきた捜査員には多かれ少なかれ備わっているらしい。一課の同僚と話した際、自分も似た経験があると聞かされたからだ。

 ベンチャーを立ち上げ、複数の女性と付き合っていた若き社長。傍目はためには独身貴族と映っていた伊根は、死ぬ間際に何を恨み何を悔いたのか。

       

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※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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