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伊根が酒と女の暮らしを好んだ理由が分かる気がした――中山七里「特殊清掃人」第15回

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「そのスマホ、中身を検めた後でどうした」

「マンションのオーナーが持っているはずですよ。本来は身内に返却するものですが伊根には親族がいませんからね。遺骨を引き取ってくれた人に渡すしかなかったんですよ」

「その伊根のことで気になる点がある。名前だ。伊根には兄弟はいなかったんだよな。名付けにルールがある訳じゃないが『きんろう』だろ。普通二郎ってのは次男に付ける名前じゃないのか」

「兄弟は、いたんですよ」

 は渋い顔になった。

「遺骨の引き取り手を探すためにウチも伊根の戸籍を調べました。それで分かったんですよ。今から四十年も昔の話です」

 諏訪の説明は以下の通りだ。

 昭和五十五年六月、当時の浦和署に一人の少年から一本の連絡が入る。七歳になる兄が横になったまま息をしないというのだ。

 そういう場合は一一〇番ではなく一一九番に電話して、と通信指令課の受付は応えたが一応最寄りの派出所から警官を急行させた。結果的には少年の通報は的を射たものとなる。アパートの一室で倒れていた伊根けいいちろうは衰弱死していたからだ。しかも身体中には無数の打撲痕が残されていた。

 直ちに母親の伊根ならびに同居人のさわむらせいを任意同行させて事情聴取したところ、沢村は桂一郎に対する日常的な虐待を供述したので、その場で逮捕と相成った。また母親である季実子も沢村の暴力を容認していた共犯として同じく逮捕された。

 伊根季実子はシングルマザーだったが勤め先で知り合った沢村とねんごろとなり、五十四年から同居し始める。沢村の桂一郎に対する暴力が始まったのはそれから間もなくのことだ。

 桂一郎にしてみれば突然家に入り込んだ男を父親と呼ぶことに抵抗があり、自ずと沢村に対し反抗的になる。かくして「しつけ」と称する虐待が始まったという経緯だった。

 警察に通報した当時五歳の欣二郎は母親の実家に引き取られたが、懲役刑が下った季実子は収監先の刑務所で病死し、いよいよ天涯孤独の身の上となる。高校卒業後は母親の実家を出て、どのような人生を送ったのか定かではない。

「その天涯孤独の男がめきめき頭角を現してベンチャー企業を立ち上げた訳か」

「母親の実家とも折り合いが悪かったかもしれませんね。遺骨の引き取りを拒否されたくらいですから」

 伊根が酒と女の暮らしを好んだ理由が分かる気がした。

 五歳という物心つく頃、彼の目に映ったのは兄を虐待して恥じない家族の姿だった。唯一人の味方であるはずの母親までが虐待する側に回り、しかし五歳児の自分にはどうすることもできない。おそらくは二人からきつく口止めされていたはずであり、警察に通報するには相当な覚悟が必要だったと想像できる。

 想像であっても、通報後の経緯を考えれば欣二郎の受けた心痛は容易に見当がつく。そういう幼年期を送った少年が「家庭」について懐疑的になり、享楽主義者に育つのも合点がいく。

「孤独に生きていた男が孤独のうちに死んだ訳か」

「どうしたんですか。嫌に感傷的じゃないですか」

「感傷に浸っている訳じゃねえ。これ、ありがとよ」

 ファイルを突き返す際、仁義を切るのは忘れなかった。

「この案件、ひょっとしたら引っ繰り返るかもしれんぞ」

 新宿署を出たは、その足でいいくぼ家に向かった。

「伊根さんのスマホですか。ええ、確かに預かっていますよ」

 てるは預かっているのは不本意だという言い方をした。

「遺骨はね、そりゃあ伊根さんには時々の勉強を見てもらった恩もあるから引き取ったけど、正直スマホまではどうかなって。だってほら、スマホってその人のプライバシーが全部入っているようなものでしょ。そう考えると何か、ねえ」

「仰ることは分かりますよ。交友関係のみならず行きつけの店やら嗜好の一切合財、自撮りやもっと生々しい私生活が保存されてますからね。だからこそ重要な形見と言えます」

 五百旗頭が関係者の中で遺骨を含めて形見分けを希望している者がいる旨を告げると、照子はほっと安堵した顔を見せる。

「ああ、それはいいことですね。形見は欲しがっている人のところにいった方がいいに決まっているもの」

「中身はご覧になりましたかね」

「とんでもない」

 照子は両手を突き出して否定する。

他人ひと様のプライバシーなんてうんざり。わたし、そういうの嫌いなのよ」

「時に飯窪さん、酒はイケる口ですか」

「だーめ、全然。昔っから甘酒で酔っちゃうような下戸だから」

 もし伊根の所蔵していたワインがいずれも値打ちものであった事実を告げれば、照子はどんな反応を示すだろうか。

 スマートフォンのきょうたいには何ら損傷もなく、電源もすんなり入る。五百旗頭は諏訪から教えられたパスワードでスマートフォンを開く。通話記録や画像一覧を閲覧するが、諏訪の言った通り想定された以外のものは何も見つからない。

「飯窪さんは伊根さんと何度か話しましたか」

「娘が勉強を教わっていたので、顔を合わせた時にお礼くらいは言ってましたよ」

「プライベートな話はどうですか」

「全然ですよ。いつも挨拶程度だったから」

 照子に伊根の壮絶な過去を話すつもりはない。死後もプライバシーを侵されるのは故人の本望ではあるまい。

「それはそうと、お掃除していただいた後、部屋を見てきました。本当に綺麗になって。臭いも全然しないし。驚きました」

「消臭効果も出ていますから、後は空気の入れ替えをしてもらえれば万全ですよ」

「あれなら相場の一割引きで充分引きがあると思います。どうもありがとうございました」

「いや、まだ喜んでいただくのは尚早ですよ」

「でも、事故だったんでしょ」

「まだ断言できない部分がありましてね。ついては、再度部屋を確認したいんです」

 
 照子からマスターキーを借り、件の部屋に入る。特殊清掃の時とは違い、マスクも防護服も着けずに入る部屋はどこか新鮮だった。

 まだ消臭剤の臭いがしぶとく残っている。死臭に比べれば香水のようだが、比較するのは消臭剤に失礼というものだ。

 五百旗頭は土間にたたずみ、気配を探る。清掃時に感知したまがまがしい圧力はいくぶん減衰しているが、踏み出す足を躊躇ちゅうちょさせる程度には残存している。部屋の中を清浄しても尚、こびりついて落ちない穢れが払拭しきれていない。

 もうちっと、待ってくれや。

 押収されたものを除けば、部屋の中は警察が臨場した当時のままになっている。ならば目的のものを探し当てれば、五百旗頭の違和感は解消される。玄関からダイニング、キッチン、リビング、寝室と回る。最後には床をって隈なく探してみた。

 まだ電気は止められておらず、家庭用ワインセラーは静かに稼働し続けている。念のためにワインセラーの中をまさぐってみたが、やはり目当てのものは見当たらない。そもそも隠すような代物ではなく、無造作に放置されていて当然なのだ。

 だが、いくら部屋中を探してみても遂に見つけることはできなかった。

 ますます混沌となりながら一階に下りてくると集合ポストに気がついた。ダイヤル式ではなく電子ロック式なので手の中の鍵で開く。

 どのみち伊根に送られたものは形見分けの対象となる。ポストの蓋を開けると溜まった郵便物があふれ出てきた。

 一枚一枚差出人を確認する。個人名のものは一通もなく、ほとんどがダイレクトメールと請求書の類い、そして投げ込みチラシだった。

 だがそのうちの一通に五百旗頭はいたく興味を引かれた。信書開封罪に抵触するおそれはあるが、五百旗頭は意を決して封書の中身を検める。

 その瞬間、全てのピースがあるべき場所に収まった。

       

前回(第14回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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