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ロイヤルホストで夜まで語りたい・第3回「家族レストラン」(ブレイディみかこ)

多々あるファミリーレストランの中でも、ここでしか食べられない一線を画したお料理と心地のよいサービスで、多くのファンを獲得しているロイヤルホスト。そんな特別な場での一人一人の記憶を味わえるエッセイ連載。
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家族レストラン

ブレイディみかこ

 ロイヤルホスト1号店は、1971年に北九州市にオープンした店舗ということになっている。
 しかし、わたしにとっての1号店はそれより前からあった。福岡市中央区天神の新天しんてんちょうに存在していたロイヤルだ。むろん、ロイヤルホストの名前を持つレストランとしての1号店は北九州市だろう。が、ロイヤルホールディングス株式会社のサイトのヒストリーにも「1959年 福岡新天町に大衆的なファミリーレストランの1号店オープン」と記してあるように、こちらこそ元祖ではないか。少なくとも、福岡市出身の中高年の多くはそう思っているのをわたしは知っている。
 新天町店がオープンする前にも、福岡市の東中洲にロイヤルは存在していた。が、そちらは高級レストランだったので、「私も一生に一度はロイヤルで食事をしてみたい」と靴磨きの女性が言ったことが、新天町に大衆的なレストランをオープンするきっかけだったという。

 その「福岡市民にとっての1号店」に、子どもの頃、わたしは母親と一緒に行った。わが家はお金がなかったので、大衆的なレストランでも年に1、2回しか行けなかったが、母親の憧れの店だったようで、いつも父親に内緒でこっそり連れて行ってくれた。母親はコスモドリアが大好きで、わたしはハンバーグやビーフシチューを食べ、お楽しみはデザートのCCブラウンサンデーだった。
 ふだんは外食と言っても、田舎のうどん屋とかラーメン屋ぐらいしか行くことがなかった子どもにとり、ファミリーレストランとはいえ、新天町のロイヤルに行くのはちょっとしたイベントだった。店の中にある大きな螺旋階段もふかふかの椅子も、西洋の映画の中の世界のようだった。一番いい服を着て、いつもよりしっかり化粧を施した母親が「今日は好きなものを食べなさい」とにっこり微笑むと、なんだか母ちゃんはいつもより若くてきれいだなと思ったのを覚えている。わたしの母は若くして子どもを産んだので、考えてみれば、あの頃、彼女はまだ20代だったのだ。前述の靴磨きの女性のように、貧しくても時にはお洒落をしてレストランで食事をしたかったに違いない。いつも真っ黒に日焼けして、ワイルドに髪を振り乱して走り回っていた娘のわたしでさえ、その日はワンピースを着せられて髪にリボンを巻かれた。母親にとって新天町のロイヤルは、ハードな現実を忘れさせてくれる特別な空間だったのだと思う。

 次のロイヤルに関する思い出は、スイートポテトだ。わたしは福岡市早良さわら西新にしじんにある高校に通ったのだが、その近くにロイヤルがケーキやパンを売っている店舗があった。当時、母方の祖母が西新に住んでいて、彼女がロイヤルのスイートポテトのファンだったので、学校の帰りにそれを買って祖母の家に遊びに行った。
 わたしの祖母は、その頃は裕福ではなかったが、実は育ちがよくて気位の高い人だった。結婚してお金に苦労している娘(つまりわたしの母)のことを常に気にしていたが、本人には聞かず、孫のわたしから家の情報を引き出そうとした。心配で心配でたまらないくせに、そんなソフトな一面を素直に他人には見せない人だったから、「あんたのお母さんはバカだ」とか「ああいう人生の選択をしたらいかんよ」とか言って、母をしつこく批判した。祖母がティーポットでいれたトワイニングのダージリン・ティーを飲みながら、わたしはスイートポテトをもぐもぐ食べ、祖母の毒々しい小言を聞かされていた。ロイヤルのスイートポテトはいつも甘くておいしかったが、わたしにとっては、どこかほろ苦い家族の事情の味がした。

 それからわたしも大人になり、英国に移住するまでは、福岡でも、東京でも、友人やその時々の恋人たちとロイヤルホストに行った。が、「福岡市民にとっての1号店」での思い出があるせいで、わたしにとってロイヤルホストはちょっと特別なレストランであり続けた。なんでもいいからさっと食べようというときには別の店でいいのだが、どうしても「ロイヤル」でなければならないときがある。それは、ちょっと気持ちが落ち込んだときだったり、生活がすさんできたなと意識するときだったりした。わたしは母親のようにお洒落をして行くことはなかったが、気分をあげたいときのファミレスはロイヤルホストなのだった。

 その後、(28年前から)英国に住んでいるが、実はこちらでも、「気分が落ちているときのロイヤルホスト」は続いている。当然ながら店には行けない。だからこっそり(これは以前、ラジオ番組でしゃべって笑われたことがあるが)、夜中に自室のPCの前に座り、ロイヤルホストの最新メニュー電子版を隅から隅までじっと見ているのだ。これはけっこう、冷静に考えると不気味な姿かもしれない。だが、そのおかげで日本にいる人々より現在開催中のフェアや、開催予定のフェアについて知っていると思うし、販売一時休止になっているメニューについても詳しい。
 ところで、これはわりと本気で言っているのだが、ロイヤルホストを英国に出店したらどうだろう。というのも、英国にはファミリーレストランというものがない。昨今の円安で続々と日本に旅行している英国人たちがそろって口にするのは、外食の安さであり、ファミレスの料理の種類の多さとおいしさだ。特に、すべて写真があるから、字が読めなくても一目瞭然にどんなものが出てくるのかわかる大判のメニューは称賛の的である。

 ロイヤルホストが英国に出店してくれれば、わたしとロイヤルの歴史は続くことになるが、しかしよく考えてみれば、いまでも途絶えているわけではない。日本に帰省したときには行っているからだ。子どもの頃、母親から新天町のロイヤルに連れて行かれたように、いまはわたしも息子連れでロイヤルホストに行く。息子は小さい頃はハンバーグやクラブハウスサンドが大好きだったが、いまはステーキ一択であり、オニオングラタンスープつきのセットで食べて、最後はサンデーやパフェで締めることが多い。
 特にわたしたちが重宝しているのは、福岡空港の国内線ターミナル3階にあるHAKATA洋膳屋ROYALだ。窓際のカウンター席に座ると、下の階にある国内線出発保安検査場の前に並んだ人々の列を見ることができ、列の長さを見ながら息子と食事をし、タイミングを見計らって下に降りて行くのが習慣になっている。

 しかしながら、昨年の初春、わたしは息子連れではなく、1人でそこに座り、保安検査場の入口の前に並んだ人々の列を見ていた。福岡で母の葬儀を終えて、東京で飛行機を乗り換えて英国に戻るところだったのである。いつもならオムライスを頼むところだったが、その日は母がいつも食べていたコスモドリアを注文した。
 通夜や葬儀で、いろんな人がいろんな母との思い出を語ったが、そういえば、新天町のロイヤルで一緒に食事をしたときの母の姿は、わたしだけしか知らないのだと思ったからだ。
 久しぶりに食べたコスモドリアは栗が甘くて、チーズがとろりと糸を引き、絶品だった。いまのわたしからすれば自分の娘ぐらいの年齢だった母親が、「おいしい」「幸せ」とうれしそうに笑いながら食べていた顔がありありと思い出された。
 ファミリーレストランは大衆向けのレストランだが、それだけではない。文字通り、「家族レストラン」なのだ。親に連れて行かれた子どもが大人になって自分の子どもを連れて行き、親を送った後は親の好物だったメニューを食べながら故人を思う。そんな場所でもあるのだ。
 わたしはコスモドリアを平らげてから、保安検査場前の列が短くなったことを確認して店の外に出た。そして色とりどりの料理の模型が並んだ入口のショーケースを横目で見ながら、今度日本に来たらあれを食べよう、こっちもいいなと、次回をもうせつなく夢見始めているのだった。

 やっぱりロイヤルホストには、英国に出店してほしい。

ブレイディみかこ
1965年、福岡県生まれ。ライター。

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