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「やっぱり、その服が気になるんですね」――中山七里「特殊清掃人」第8回

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秋廣香澄は半年前に〈エンドクリーナー〉に転職したばかり。同世代の女性・関口麻里奈が孤独死した部屋の床下に『みんな、滅びろ』という走り書きをみつけ、生前の彼女が働いていた職場を訪ねていくと……。


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 おおは束の間逡巡した様子だったが、やがて渋々といった体で口を開いた。

「モーターショーが閉幕した数カ月後、弊社広報課にクレームが入ったのです。展示ブースで見せたせきぐちさんのパフォーマンスは社会通念上許されるものではないと」

「何が許されないんですか」

 思わず声が大きくなった。

「こんなにカッコいいのに」

「クレームの主は某宗教団体だったのですよ」

 大田は悔しそうに唇を曲げる。

「おたくのイベントは社会通念上も宗教上も排除されて然るべきだ。今後一切中止せよ。さもなければ我々は展示を許したモーターショー自体に抗議し、会場でのデモ活動も辞さないと。当初はただの言いがかりだと高を括っていた弊社も、毎日のように続くクレームに不気味さを覚えるようになりました。相手には常識が通用しない。もし本当に会場で抗議デモをされた日には、モーターショーに参画した同業他社に迷惑が掛かってしまう。上層部で協議した結果、次回モーターショーは従来通りの形式に戻すことになったんです」

 つまりは脅しに屈したという訳だ。

「だけどクレームと路線逆行に一番傷ついたのは関口さんだったでしょうね。彼女の落胆ぶりは見ているこちらの胸が潰れそうなくらいでした。まるで自分の存在価値を全面的に否定されたようなものですからね」

「わたしもそう思います」

「会社がそれを決定した翌月、関口さんは辞表を提出しました。慰留はしたのですが、本人の落ち込み方は相当なもので、彼女を翻意させることはできませんでした」

「関口さんとは、それっきりですか」

「ええ。同僚が何度か飲み会に誘ったらしいんですが、ことごとく断られたと言っていました。きっと弊社に嫌な思い出を残したせいでしょう。それを考えると、申し訳なさでいっぱいになります」

 が自室に閉じ籠るようになったのも、ちょうどその時期だ。会社での出来事と照らし合わせれば、その理由に合点がいく。

 大田は再び件の衣服の画像に視線を落とす。

「この服は関口さんの人物評を一変させましたが、結局は彼女に要らぬ心労を与えもしました。そういう意味でひどく罪作りな服だったと思います」


 すみが次に訪れたのは水戸にある麻梨奈の実家だった。

 関口宅は閑静な住宅街の一角にあり、香澄が訪問した際に家の中は静まり返っていた。喪に服しているがゆえの静けさならよいのだが、これは香澄の勝手な思い込みでしかない。

 表札にはと麻梨奈二人の名前が刻まれていた。愛情からの放置かもしれないが、まるで死んだ子の歳を数えるようなものだと思った。

 弥代栄は香澄を客間に案内してくれた。廊下を歩いている途中で和室の仏間が目に入ったが、線香を上げさせてくれとは言い出し難かった。

「お部屋が大変綺麗になったと大家さんから知らせてもらいました。その節はありがとうございました」

「いえ、それが仕事ですから」

「ところで今日は何の御用でしょうか。請求された金額はそちらの口座に振り込んだはずですけど」

「本日は遺品整理の件で伺った次第です」

「あの部屋にあったものは全て処分してくれと申しました」

「ええ。ただ、クローゼットの中には存外に服が残っていました。一度お母さまにご確認いただいてから処分した方がよろしいかと存じます」

「確認って、まさか持参してきたんですか」

「写真に収めてきました」

 香澄は部屋で撮影した衣服の画像を一枚ずつ表示してみせる。どんな服を眺めても微動だにしなかった弥代栄が、或る一枚を見た瞬間に大きく目を見開いた。

 派手な色合いのジャケットだった。

「やっぱり、その服が気になるんですね」

 予想通りの反応だったが、香澄には辛いものだった。

「最初にクローゼットを開けてみた時、わたしも引っ掛かってたんです。付き合っていた相手の服を後生大事にするにしてもジャケットというのは変だなって。それにそのジャケットとラメ入りのパンツ、ポーラーハットの組み合わせにも既視感がありました。散々考えて、やっと思い出しました。『蒼久の騎士』というアニメに登場するラインホルト侯爵というキャラクターのコスチュームなんです」

 元々、『蒼久の騎士』はゲームソフトだったが、大ヒットの余波でアニメ化もされた。そのアニメも大成功で深夜ながら高視聴率を取った。かく言う香澄も熱中して観ていたクチだ。だから思い出せた。

「ラインホルト侯爵の服なんて一般のお店では売っていません。きっと麻梨奈さんがコスプレ専門店で購入したんでしょうね。麻梨奈さんにしてみれば密かな趣味でしたけど、それが会社で役立つ時がきました。東京モーターショーにコンセプトカーを展示する際、女性コンパニオンの起用を見合わせる局面があったそうです。今の風潮には合致しないんじゃないかという理由で。事の是非はともかくとして、麻梨奈さんは自分がコンパニオンを務めたいと手を挙げました。ただしコンパニオンはコンパニオンでも、男装した姿で。その際に着用したのがこのジャケットとパンツ、ポーラーハットの衣装でした」

 香澄は別の画像を表示してみせる。それこそは件のモーターショーで、麻梨奈がラインホルト侯爵に扮している晴れ姿だった。

「従来グラマラスな美人だけがコンパニオンという常識に、麻梨奈さんのコスプレは一石を投じました。それだけじゃなく、身長のある麻梨奈さんの男装はお世辞抜きに人の目を惹きつけるものでした。企業のイメージまで一新させるような演出は社内でも高評価を得、麻梨奈さんは一躍有名人になります。麻梨奈さんにもいい変化をもたらし、それまでは真面目さだけ評価されていた彼女は新しい魅力を認められます。そのままであれば、麻梨奈さんにとって幸せな職場になったはずなんですが、ある日、某宗教団体から理不尽に近いクレームが入り、麻梨奈さんの幸せな時間は終わってしまいます。クレームを入れたのは前近代的なジェンダー観で悪評高い金目教教団、つまり関口さん、あなたが信者である宗教団体です」

 弥代栄は昏い目をしたまま口を噤んでいる。だが弥代栄が金目教の信者であるのは確実だった。初めて会った時、弥代栄が襟に付けていたのはただのブローチではなかった。あれこそ金目教のシンボルマークだった。事前に調べたので分かったが、廊下から一瞥した仏間も金目教独特の設えで、仏壇も一般のものではなかったのだ。

「クレームを受けて会社は麻梨奈さんの演出を封印する決定を下しました。麻梨奈さんにとっては存在自体を否定されるような出来事です。そして居場所がなくなった麻梨奈さんは会社を辞めてしまいます」

「どうして存在を否定されたなんて感じるんですか。大袈裟な。たかが男装を禁じられただけじゃありませんか」

「これはわたしの完全な憶測なのですが、麻梨奈さんは生物学的には女性でも、自分では男性だと認識している人だったのではありませんか」

 弥代栄は再び黙り込む。香澄はこの沈黙を肯定の意味と取った。

「『蒼久の騎士』に登場するラインホルト侯爵というのは、理知的でありながら戦場では勇猛果敢な戦士というキャラクターです。ところが実はラインホルトは女性であり、家の事情でやむなく男性に扮している設定なんです。これ、麻梨奈さんの境遇にも当てはまる設定じゃないんですか。麻梨奈さんは男性性を持ちながらも女性であることを強制された。だからこそラインホルト侯爵というキャラクターに自分を重ね合わせてコスプレを楽しむようになった。モーターショーで自分のコスプレにスポットライトが当てられた時、やっと麻梨奈さんは本来の自分を認めてくれる場所を見つけられたんだと思います。でも、その思いは金目教信者のクレームで呆気なく打ち砕かれました。教団を介して娘の男装を封じ込めようとしたのは関口さん、あなたじゃないんですか」

 香澄が辿り着いた結論はひどくおぞましいものだった。性別違和に悩む娘と、旧態依然の頑ななジェンダー観を持つ母親が同居すれば軋轢が生まれるのはむしろ当然だ。いったん家を離れた麻梨奈がなかなか帰省しなかった理由もこれで説明がつく。

『みんな、滅びろ』

 ありのままの自身を否定された麻梨奈がどんな思いを抱いたかは想像するより他にない。だが彼女の遺した文言が自分を認めようとしなかった母親と社会に向けられたものであるのは一目瞭然だ。

 しばらく重い沈黙が流れ、ようやく弥代栄が口を開いた。

「昔から困った娘でした」

 ひどく感情のない声だった。

「男の子とばかり遊んで、ままごとや可愛い服にはちっとも興味を示さなかったんです。それでも小学校辺りまでは女の子らしくするよう厳しく教えていたんですけど、中学に入る頃には反抗期も手伝ってスカートを穿こうともしない。わたしが教団の有難い教えを説いても聞く耳を持たないんですよ。大学卒業後、東京で就職した頃にはさすがに悪癖も治っていると安心したのですが、勤め先がモーターショーに出展すると聞きニュースを見たら、男装した麻梨奈がポーズを取っているじゃありませんか。わたしは恥ずかしくて悔しくて、教団に駆け込みました。事務局長さんはできた人で、早速教団の名の下に抗議すると明言してくれました。お蔭で娘は二度とあの恥知らずな格好をせずに済みました。本当に有難いことです」

「絶望した麻梨奈さんは引き籠ってしまい、外界との接触を断って、最後は呪いの言葉を床に認めていました。それでも有難いことなのでしょうか」

「やっとあの娘はわたしの許に帰ってきたんです。お骨だけになってしまったけど、もうわたしの言いつけに逆らわない子に戻って」

 弥代栄はうっすらと笑ってみせた。

「全ては御心のままに」

「……もう失礼します」

 とうとう居たたまれなくなって香澄は腰を上げる。玄関に向かったが、弥代栄は追ってもこなかった。

 辞去する際、改めて家を眺めた。どこでも見かけるような平凡な一軒家。

 だが麻梨奈にとって果たしてその家は心休まる場所だったのだろうか。ひょっとすると、ゴミ袋で身動きの取れなくなったあの部屋こそが彼女の安寧の場所ではなかったのか。

 不意に感情が抑えきれなくなり、香澄は急いで駆け出した。 

       

前回(第7回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。次回から第2章が始まります。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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