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朝日新聞出版の文芸書

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書評や文庫解説、インタビューや対談、試し読みなど、朝日新聞出版の文芸書にかかわる記事をすべてまとめています。
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2022年8月の記事一覧

歴史好きにも難解な平安末期を伊東潤氏が“平清盛”を通して描く『平清盛と平家政権』。歴史ライター・西股総生氏による文庫解説を特別公開

 伊東潤氏は、恰幅のよい作家である。  いや、何もルックスのことを言っているのではない。氏の小説は、古代から近世に至るさまざまな時代に題材を取り、また、本書のような史論や紀行物も多い。書くものの幅が広いのだ。  こうした「幅の広さ」を支えているのが、旺盛なリサーチ力であり、何より氏のあくなき好奇心であることは、作品を読めば直ちに理解されるところであろう。  また、一般には知られていないような人物や、細かな事件を掘り起こして題材とした作品もあるが、主役級の有名な人物を、正面から

タイガーバームのにおいとお風呂場の魚たち 柚木麻子さんが眠れない夜に思い出す祖母のこと

■夜の釣り堀  40歳になってから、とくに理由もなく、一睡もできないまま朝を迎えることが頻繁にある。ちなみに昨日もまったく眠れなかった。これはまずい、とあらゆる病院にいってみて、色々な方法を試した結果、漢方薬で徐々に体質を改善していくという方向に今のところ落ち着いている。睡眠導入剤は私には強すぎて、翌日、仕事にまるで集中できなくなるのだ。はじまりは去年の秋。全然眠れない夜がなんの前触れもなく、3回続いた時は、ショックとパニックで自分が自分ではなくなり、最後はデビッド・リンチ

恋愛小説が描かない結婚・離婚・非婚・事実婚…答えの出ないままに生きることのリアル!

 結婚ってなんだろう? 最初の結婚に失敗してウツを病んでから、私はそれをずっと考えていた。幸せな結婚は幻想だと言われて久しいが、それでも人は何かを夢見て結婚する。それはなぜなのだろう。この年になってあらためて周りを見回すと、仲むつまじい夫婦にはなかなかお目にかかれない。それでも連れ添っているのはなぜか。ほんとうに生活のためだけなのか。結婚には何か魔力のようなものがあるのではないか。その問いに答えを得たとき、それを小説に書きたいと思っていた。ゴールインするまでの恋愛小説ではなく

【シリーズ最高傑作】北原亞以子さんの幻の名作長編が初の文庫化!『雪の夜のあと 慶次郎縁側日記』大矢博子氏による文庫解説を公開

   <本書が原作>     時代劇セレクション「慶次郎縁側日記2」(主演:高橋英樹)     NHK総合 毎週水曜日 午後3時10分~ 2022年8月放送予定     ※放送は変更になることがあります。  朝日文庫による「慶次郎縁側日記」シリーズ復刊企画、第3弾である。  ――と簡単に書いたが、実はこの『雪の夜のあと』の復刊は多くのファンが熱望していた、まさに快挙と言っていい出来事なのだ。私も復刊3作目が『雪の夜のあと』と聞いて思わず「ほんとうに?」と訊き返してしまったほ

高山羽根子著・単行本『如何様』大澤聡氏による書評「ポスト・トゥルースの彼岸」を特別掲載!

 1947年12月29日、1人の男が死んだ。ハン・ファン・メーヘレン、画家である。のち世界的にその名を知られることになる。ただし、フェルメールの精巧な贋作の制作者として。遡ること2年半前、ナチスの高官ヘルマン・ゲーリングらにオランダの名画を売り渡した罪で起訴され、世間はこのナチス協力者にバッシングを浴びせた。しかし、拘留中の本人の告白と法廷での長期におよぶ実演とによって、売却したのはじつは自身の手になる贋作だったことが判明。すると、憎きナチスに偽物を掴ませた男として、一転、英

高山羽根子著・単行本『オブジェクタム』小川哲氏による書評「文学の美しさと儚さ」を特別掲載!

 高山さんがトリッパーで新作を書いたらしいと聞き、手にとってみると「オブジェクタム」というラテン語風の仰々しいタイトルだった。聞いたことのあるような、ないような不思議な言葉だったが、高山さんは美大を出てるから、オブジェとか出てくるのかな、といい加減な気分で読み始めた。そしたら本当にオブジェ的なものが出てきて驚いた。 《オブジェ》とはなんだろうか。もともとは「物体」や「客体」を表すフランス語だったが、シュルレアリスム以降は「非芸術的な物体を利用して制作された美術作品」という意