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上坂あゆ美連載「人には人の呪いと言葉」第2回

喉につかえてしまった魚の小骨のように、あるいは撤去できていない不発弾のように、自分の中でのみ込みきれていない思い出や気持ちなどありませんか。
あなたの「人生の呪い」に、歌人・上坂あゆ美が短歌と、エッセイでこたえます。


◇忘れられない、親父からのひと言

 小学生の時、先生に目をつけられてしまったことが原因で胃腸を悪くしました。
 よく家でもおなかを抱えてうなっていたのですが、ある日仕事終わりに晩酌していた親父おやじに「悲劇の主人公ぶんなよ」と言われました。それ以来親父とうまく話せなくなりました。悪気はなかったんだと思います。今も決して仲は悪くありませんし、親父のことを人としては尊敬していますし、大人になるまで育ててくれたことも感謝しています。でもずっとこの言葉が頭から離れません。20年近くっても忘れられなくてごめんなさい。多分まだ許せてないんだと思います。

岡本 さんより

 岡本さん、こんにちは。
 やりきれない呪いですね。お父さん、基本的には良い人なんでしょうね。直接的な加害を与えてきた小学校の先生よりも、尊敬しているはずのお父さんの一言の方が結果的に呪いになってしまったというのを見て、人生ってそういうところあるよな〜と深く頷きました。

 ここで世の中の真実のひとつをお伝えしたいのですが、親の言葉って、子どもに言っているふりをして、自分自身に言い聞かせているケースがあるのです。

 私は、美術大学の受験期に色々なことで心が限界になって家でしくしく泣いていたら、普段は優しい母に「ピーピー泣くな」と怒鳴られたことがあります。私は日頃ほとんど泣かない大人しい子どもで、このときばかりは慰めてもらえると思っていたので面食らいました。困惑する私をおかまいなしに、母はテレビを指さして「こいつを見てみろ!」と続けます。テレビの中では芸人の狩野英孝がネタをやっており、〈ラーメン つけ麺、僕イケメン!〉と叫んでいます。母は、「こいつはたいしてイケメンでもないのにこんなに明るく頑張ってるだろ。こういうやつの方が気持ちいいだろうが!! お前も狩野英孝になれ!!!」と言いました。理解の範疇はんちゅうを超えた謎理論を持ち出され、「な゛んで狩野英孝にならないといけないの゛ぉお゛」と泣きながら訴えましたが、自分でも言いながら笑ってしまい、不本意ながら涙が止まりました。
 両親が離婚した後、私の父親は慰謝料も養育費も払わず、むしろ私と姉のお年玉貯金をすべて奪って海外に逃亡。母はたった一人で私と姉を育ててくれ、結果的に普通の大学よりもさらにお金がかかる私立美大に私を進学させてくれました。
 だから受験前のあのとき、私より母の方がよほど不安だったと思いますが、彼女が弱音を吐いたりつらそうにしているのを見たことはありません。そんな母が必死に稼いだお金で通わせてもらっていた美術予備校、そこで辛いことがあったと泣いている子どもを見たら、確かに「(そんなことで)ピーピー泣くな」と言いたくもなるでしょうし、「ピーピー泣くな、明るく頑張れ」とは、彼女が自分自身に言い聞かせていた言葉だったのだということに、大人になってから気づきました。
 数年経ってから母に「なんであのとき狩野英孝になれなんて言ったの?」と尋ねるも、「酔っ払ってて覚えてない」とガハハと笑っていました。

 何が言いたいかというと、岡本さんのお父さんもその当時、なにか辛いこと悲しいことがあって、それでも自分が悲劇の主人公っぽくならないように気を付けていた最中だった可能性もあるなと思ったのです。
 ……まあでも、ぶっちゃけ言われた側からしたらあまり関係ないんですけどね。お父さんが当時どんな状況にあったとしても、幼い岡本さんに不用意に吐いていい発言じゃないのは明らかです。だからお父さんを許してあげなよ〜という話ではないのですが、岡本さんは彼を人として尊敬していると書かれているので、そういう人に対する負の感情って、ずっと持っているの苦しいじゃないですか。アンビバレントな状態を抜け出すためにも、できるなら手放したいんじゃないかな。

 その場合、勇気がいることと思いますが、今回送っていただいた呪いの内容を一度、そのままお父さんに言ってみてもいいかもしれません。謝罪を要求するというよりも、「私が当時傷ついたことを認めてほしい、そしてお父さん側の事情があったならぜひ教えてほしい」ということをゴールに置いて。

 ちなみに「私が小学生の頃に言われたあの言葉、すごく悲しくて傷ついた。だから考えたんだけど、あの頃お父さんなにか辛いことでもあったの?」と聞いた場合、おそらくお父さんはYESと言いません。
 「私が小学生の頃って、お父さんどんな感じだったの? 仕事とか、家庭のこととか〜」みたいに、人生の先輩として興味本位で聞いてる風な、軽めの入り口で聞くのがいいと思います。そうすると「あの頃実は大変でさあ〜」みたいに口を開いてくれる可能性があります。
 なぜなら「親は子どもの前で強がる」という性質がある生き物で、自分の子どもからは決して同情なんてされたくないようだからです。

 漫画『HUNTER×HUNTER』の作中では、他者にかけられた念は、念をかけた側が死んだ後により効力が強まるとされています。呪いも同じで、解く前に相手に死なれるとすごく厄介です。私はすべての人間の中で父に対して一番の遺恨がありますが、彼はすでに亡くなってしまいました。生きていた間はむしろ私が面会を拒否していたのですが、意地を張らずに会っておけば良かったなと思うこともあります。それは決してエモい意味ではなく、自分の現実と向き合うために。
 もちろん、岡本さんのお父さんはまだまだお元気と思いますが(そうあってほしいですが)、早めに呪いを解くことができたら、長い人生のこれから、今より健やかにお父さんと付き合えると思うので、お互いのためにいいですよね。陰ながら応援しています。



◇大好きなおばあちゃんとのお別れで

 もう10年ほど前のことになりますが、大好きなおばあちゃんとのお別れの時に眠ってしまったことが、忘れられなくて、申し訳なくて、罪悪感がずっと心の中にあります。お葬式のことです。ガクッと傾く私を妹が体調不良かと心配してくれ、そこでハッとしました。見送ることよりも、眠気に耐えるのに必死でした。その時は眠気の理由がわかりませんでしたが、後に知ったのは、服用していた薬の副作用に強い眠気があるということでした。今でも治っていない病気を治したくて、当時副作用などあまり気に留めず服用していました。子どもができなかったおばあちゃん。私の父を養子にもらい、そして私が生まれました。誰にでも優しい、何でも譲ってあげるおばあちゃんが、産まれたばかりの私を抱いて離さなかったと母は笑っていました。私はなんてひどい孫なんだろう、あんなことになるなら、どんなに体が辛くても薬なんか飲むんじゃなかった、と後悔の日々です。おばあちゃんは絶対に許してくれます。でも、おばあちゃんが、他の誰が許してくれたとしても、私が私を許せません。

さらさ さんより

 さらささん、呪いを打ち明けてくださりありがとうございます。
 今から話すこと、「え、全然関係ないじゃん」ってお感じになると思うのですが、一旦聞いてもらっても良いですか?

 私は2022年に第1歌集を出版し、たちまち増刷を重ね、計1万部以上も売り上げることができました。出版不況の最中、もともと市場の小さい短歌の本としては、これはかなり異例の数字です。たくさんの方が毎日のようにSNSで本の感想を投稿してくださいました。雑誌、新聞、WEBなど、あらゆるメディアからインタビューや寄稿の依頼を受け、テレビやラジオにも出演させていただきました。短歌ブームの火付け役みたいに言われることもありました。
 客観的に見ればかなり調子の良い状態ですが、歌集出版後1年近くもの間、私はずっと絶望の淵にいました。それは、私が短歌を神聖視しすぎてしまっていたことが大きな理由です。
 我が家は母子家庭なのに、学費や制作費などたくさんのお金がかかる私立美術大学に無理やり通わせてもらいました。あらゆる創作に取り組みはしましたが、どれにも熱心に打ち込むことができず、簡単に言うと全然楽しくなかったのです。かなり絶望しました。自分には創作なんて向いてないんじゃないかと思って、でも何かをつくりたいという気持ちだけはあって、やり場のない熱量をこじらせ続けたときにようやく出会ったのが、短歌でした。短歌だけは自分が心から楽しいと思ってつくることができたので、絶対に短歌だけは嫌いになりたくないという思いが強くありました。それがいつしか短歌=聖域(サンクチュアリ)のようになって、勝手に幻想を抱くようになっていた気がします。
 10年続けても歌集が出せない人が多くいる中、私は短歌を始めてからたった2年ほどで出版が決まり、さらに異例のヒットとなりました。それと同時に、「ポッと出の私なんかがこんなに素晴らしい文化の代表選手みたいになって良いわけがない」という思いにさいなまれるようになりました。
 もちろん、私の本は絶対に良いものだということには自信があります。今の自分のすべてを詰め込んだので、我が子のような愛着もあります。だけど、短歌の長い歴史の中で言えば、これより素晴らしい本は正直たくさんたくさんたくさんあるのです。
 自分はSNSのフォロワーが少し多かったのでそれで売れただけなんじゃないか? そうだとすれば本が売れるかどうかに作品の質なんて結局関係ないんじゃないか? 行きすぎた資本主義社会に辟易へきえきして短歌というジャンルに希望を見出したのに、結局短歌においても資本主義的な尺度で測られてしまうのか? 自分は資本主義社会に媚びへつらうのが上手かっただけで本当は短歌なんて全然上手くないんじゃないか? こんなふうに祭り上げられて、私は短歌の神様に怒られるのではないか? 少なくとも短歌文化を守り続けてきた歌人たちは嫌な思いをするんじゃないか?……

 作品を好きだと言ってもらえることはすごく嬉しい反面、こういう声が頭の中にガンガン鳴り響いてしまい、その狭間で苦しみました。読者の方だけでなく、身の回りの同世代の歌人や、今までの短歌文化をつくってきた先輩歌人がどれだけ私の作品を認めてくれようとも、私は「いやいや、誰が許そうとも私が許せないので」という姿勢を貫き、悩み続けていました。

 あれから約2年の時が経ち、だんだんと冷静になってきた今思うのは、神聖な存在だと思っていた短歌というものが簡単に手に入ってしまったように感じられ、それを認めたくないから自分を蔑んでいたのかもしれない、ということです。悩まなくて良いことを自ら進んで悩みにいった上、読者の方や周囲の人が作品に対してくださったあたたかい言葉を、あまり信じないようにし続けていました。
 ただ、あのときの苦しみは本物で、重く重く私を支配したことも事実です。真剣に悩みすぎて不眠症にまでなりましたし。でも今現在の私は、私ってこんなにも短歌のこと好きなんだね〜とだけ、思っています。そして私の作品を良いと言ってくださる方々の声を信じて、心の底からちゃんと受け入れようという気持ちに、最近やっとなってきています。

 打ち明けていただいた呪いに話を戻しますね。
 文面を読む限り、さらささんは全く悪くないし、ご自身の言うとおりおばあちゃんも絶対に許してくれますよね。だからさらささんももしかして、おばあちゃんのことを神聖視してしまっているのかなと思ったのです。おばあちゃんを最高に素敵で神聖な存在としておくために、自分のミスを必要以上に責め続けているのかなと。つまりそれって、おばあちゃんへの愛の確認作業なのだと思います。私も、自分を蔑むことで短歌への愛を確認していたのかもしれません。
 さらささんの苦しみが偽物だとは全く思いません。10年にもわたって、相当苦しかったはずですよね。だけど、さすがにそろそろいいんじゃないでしょうか。おばあちゃんも、きっと自分のことでさらささんが苦しむのは悲しいことだと思いますよ。

 もう一回ちゃんと言いますね。
 さらささんは全く悪くないし、それはそれとしておばあちゃんの素晴らしさが損なわれることはありません。
 ……どうですか、信じられそうですか?
 これからは自分を責める以外の方法で、おばあちゃんへの愛を、そしてご自分への肯定感を育んでいってほしいです。さらささんにこう言った以上、私も私の作品を、自信を持ってちゃんと愛していきますから。



上坂あゆ美(うえさか・あゆみ)

静岡県沼津市生まれ。歌人、文筆家。 著書に、『老人ホ-ムで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)、『『老人ホームで死ぬほどモテたい』と『水上バス浅草行き』を読む 歌集副読本』(共著、ナナロク社)など。
X(Twitter):@aymusk

見出し画像デザイン 高原真吾


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