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日本語お上手ですね――李琴峰「日本語からの祝福、日本語への祝福」第23回

台湾出身の芥川賞作家・ことさんによる日本語との出会い、その魅力、習得の過程などが綴られるエッセイです。

第23回 日本語お上手ですね 

 複雑な気持ちにさせられる褒め言葉がある。「日本語お上手ですね」である。複雑な気持ちというか、気分を害する時もある。

 客観的に見て、私は日本語が上手だ。これは間違いなく事実だし、この事実は、使える漢字や語彙の量、文型のバリエーション、または発音の自然さや、産出する文の文法的正確さなどによって定量的に評価できるものである。「日本語お上手ですね」という文は、いわば事実を述べているだけのように思われる。事実を言っているだけならば、なぜ気分を害するのだろうか。

 この疑問については、このように考えることができる。「日本語お上手ですね」という文は、単に事実を述べるだけの言明ではない。「地球は丸い」「円周率は無理数だ」「日本は火星にある」、このような文は、ある主張を示す「命題」であり、命題には真偽の判断がつく(例えば「日本は火星にある」は偽の命題である)。しかし「日本語お上手ですね」という文は、真偽の判断がつく単なる言明というより、話し手の主観的評価に重きを置いているように感じられる。つまり、誰かに「日本語お上手ですね」と言われた時に、私はその人にとって評価の対象になっているというわけだ。もし私が「評価してほしい」と頼んでいないのであれば、私はその人によって勝手に評価の対象にさせられた、、、、、、、、、、、、、、のである。それでは不愉快な気持ちにもなるだろう。

 ところが、それだけでは説明がつかないようだ。例えば私はよく「髪が綺麗ですね」と褒められるのだが、そう言われて機嫌を損ねたことはあまりない。頼んでもいないのに勝手に評価の対象にさせられるという点では、「日本語お上手ですね」と同じだが、なぜこのような違いが生じるのだろうか。

 恐らく「日本語お上手ですね」から来る不快感を整理する上で、「誰が誰に対してどういうふうに言っているか」という観点が重要ではないかと思われる。例えば、日本語を母語とする日本人が日本語を流暢に操っているのを見たとしても、大抵の人はその日本人に対して「日本語お上手ですね」とは言わないだろう。日本語を母語とする日本人なら、日本語が上手なのは当たり前であり、特段評価のじょうに載せるような事柄ではない。同じように、私たちはジョー・バイデンやボブ・ディランに「英語お上手ですね」と言ったりしない。彼らを評価する際には別の評価軸が用意されるべきだ。そう考えると、「日本語お上手ですね」の不快感の正体もはっきりしてきたように思う。「日本語お上手ですね」と言われる時に、私は「日本語が上手なのは当たり前ではない、、、、(あるいは、日本語が下手なのが普通だ、、、、、、、、)」という言外の前提をあらかじめ置かれているのだ。そしてその前提を支える客観的事実は、「私は日本人/日本語母語話者ではない」というものである。要するに「日本語お上手ですね」と褒められる時に論じられているのは私の言語能力だけでなく、私という人間の出自もそこでは暗に問題とされているわけだ(一方、「髪が綺麗ですね」という褒め言葉にはそんな前提が存在しない)。差別発言とは言わないまでも、他者の出自を取り上げ、その出自に基づいて決めつけるような前提を置き、その前提を根拠に何かを褒める行為は、少なくともマイクロアグレッションには該当する。例えば「ゲイなのにたくましいね」とか「女性なのに力持ちだね」とかの例と同じで、不快になるのは当然というほかない。

 しかし、どうもそれだけではないような気もする。というのも、私は日本に留学し日本語を学習している留学生から日本語能力を褒められることがあるが、そういうケースではあまり不快にはならない。一方、初対面の日本人のおじさんから言われると腹が立ってしかたがない。つまり、「誰にどのように言われたか」の文脈も大事だ。留学生から言語能力について褒められる時は、大抵尊敬の眼差しと憧れの口調で言われる。彼ら彼女たちにとって、私は一つのロールモデルと見なされているのがひしひしと感じ取れる。一方、日本人のおじさんはそういう感じでは全くない。「俺は日本人だから日本語が堪能なのはまあ当たり前だが、あなたは違うのに日本語が上手で偉いね、いっぱい勉強しただろう? 褒めてやるよ」的な上から目線のニュアンスがはっきり伝わってくることが多い。この種の賞賛は、相手を同じ土俵に立つ人間として認め、心の底から感心しているというより、相手を一応褒めることによって自らの優越性を再確認することを目的としている。褒めているように見せかけているが、実は見下しているわけだ。芥川賞受賞後の取材ラッシュで、とある団体の機関誌から取材を受けた時、その団体の理事長やら何やらのおじさんからなぜか日本語という言語の優越性についてひとしきり熱弁された上で、「君は日本語の素晴らしさに気づけるなんて偉いね」と面と向かって言われた。苛立ちを隠すのに必死だった。

 

 交換留学時代、「日本語お上手ですね」という賞賛を飽きるほど浴びた。相手は大抵、周りにいる日本人学生だった。

 あの時、私はいくつかのサークルに入っていた。趣味のサークルのほかに、留学生と日本人学生の国際交流を趣旨とするサークルもあった。そして皮肉なことに、後者より前者のほうが居心地がよかった。

 趣味のサークルでは、留学生も日本人学生も関係なく、みんな分け隔てなく趣味でつながり、交流していた。ピアノのサークルでは私は(年齢的には三年生だが、早稲田大学は一年目なので)一年生として扱われ、「いちひめじょさんかばね」(*1)の「一姫」の待遇を受け、日本人学生たちと分け隔てなく遊んでいた。競技かるたのサークルでは、留学生といっても特別な待遇を受けることなく、みんなと同じように稽古に参加していた(これはよく考えればすごいことだ。競技かるたは小倉百人一首かるたを使った競技で、百首覚えるのが前提だから、留学生にとってはもちろんハードルが高い。実際、私以外に留学生は一人もいなかった)。

 ところが「国際交流」が趣旨のサークルでは、留学生と日本人学生は違うものとして見られ、扱われていた。当時の一斉連絡はまだガラケーのメーリングリストが主流だったが、メーリングリストは留学生用と日本人学生用のものに分けられていた。私もデフォルトで留学生用のメーリングリストに登録されたが、こちらのメールはもっぱら英語で配信されていた。頑張れば読めなくはないが、私にとって英語より日本語のほうがずっと得意でストレスなく読める。そもそも私は日本語の精進のために日本に留学しているのに、なぜ英語を読まされなければならないのか、また、私は英語圏ではなく中国語圏出身なのに、なぜ英語が読めることを前提視されているのか。疑問は尽きなかった。どうやら国際交流サークル内で想定されるスタンダードな留学生像は欧米出身の英語話者であり、アジアの留学生は想像の埒外らちがいにあるようだった。私はそこに、無邪気な欧米崇拝とアジア蔑視、ひいては英語覇権に対するあまりの無批判さを感じた。メーリングリストを分けるのはもちろん悪気はなく、どちらかと言えば日本語が不自由な(恐らくは多数派の)留学生への配慮が目的だっただろうが、私に限って言えば、そんな配慮はひどく的外れなものに映った。

 普段のイベントでも、留学生と日本人学生の間には見えない線が引かれていた。見た目で留学生と分かる人に日本人学生が話しかける時は、デフォルトで英語を使うことが多い。見た目で留学生と分からない私はあえて自分の国籍には言及せず、ごく普通に日本人学生の間に融け込んでいた。それでも、例えば出身地や出身校が話題になる時など、実は自分は留学生だと「カミングアウト」する必要がある場面にたまに出くわすのだが、打ち明けた瞬間にさっと見えない線が引かれるのを感じたことは一度や二度ではない。そしてほぼ一〇〇%、「すごい! 日本語上手! 日本人だと思ってた!」というふうにびっくりされる。今でも覚えているのだが、留学生が自分の出身国を紹介するプレゼン会というイベントがあり、私は台湾の話をしたのだが、「教育部というのは日本の文科省のようなもので、教育を司る政府機関であり~」と説明したところ、会の後に「すごい! 日本語が上手すぎてびっくりした! 『司る』なんて難しい言葉を知ってるなんて!」と驚かれた。

 こんなふうに土俵を一段下げて褒められるようなことが続くとさすがに飽き飽きしてきて、私はなるべく日本人学生のように振る舞うことにし、自分は留学生であることを必要以上に意識しない/させないようにした。メーリングリストについても幹事に相談し、日本人学生用のものに入れてもらった。日本的な通称名もつけ、日常的にその名前を名乗ることにした。そうするとサークル内だけでなく、留学生活全体がとても居心地のいいものになった。この経験を通じて、自分はいつまでも留学生/外国人として、つまりはよそ者、、、として特別扱いされるのではなく、ごく普通に一人の生活者/構成員として日本社会に融け込みたいのだと、はっきり分かった。「自分は前世、日本人に違いない」と、前世なるものを信じてもいないくせにぼんやり思っていた。

 

 これは私の観察に過ぎないのだが、交換留学を「期間が長めの観光旅行」や「大学時代に挿入されるモラトリアム期間」くらいに思っている大学生が少なくないようだ。勉強はそこそこにして、せっかく海外に来たのだからあちこち旅行したいと、そう思っているのだろう。当時私の周りにいたほかの留学生のほとんどがそうだった。彼ら彼女たちは、自分はあくまで外国人であり留学生であると(ある意味正しく)捉えていた。留学生だから日本語が上手でなくて当たり前で、外国人だから日本人のように振る舞わなくてもいいんだと、彼ら彼女たちは主張していた。実際、彼ら彼女たちは日本人学生や日本社会に融け込む気がゼロに見えて、いつも同じ出身地の留学生とばかりつるんでいた。要するに、自分から外国人/日本人の線を引き、線のこちら側に安住しているのだ。

 私は違った。せっかく日本に来たのだからここでしかできない勉強がしたいと思ったし、あちこち旅行するお金もなかった。日本語に限って言えば、「平均的な日本人にできて自分にできないことはあっていいはずがない」とプライドが高かったし、いつまでも「外国人」と目されるのはストレスだった。留学生同士でつるむより、私は日本人学生と遊ぶことを好んだ。台湾人留学生会のような団体からも意識的に距離を取った。外国人/日本人の間に引かれている線を私は必死にこすり続け、限りなく透明にしようとした。交換留学を「期間が長めの観光旅行」くらいにしか思っていないほかの留学生と一緒にされたくない、みたいな思いもあったのだろう。

 私から見て、周りの留学生は自らの偏狭な了見で薄っぺらい比較文化論を語ることが好きな人が多かった。「海外では○○なのに、日本は△△なのがおかしい!」というふうに、勝手な物言いで日本の悪口を言うのだ。それが的を射た批判ならまだしも、多くの場合、彼ら彼女たちが語る「○○」はバイアスのかかった不正確な観察でしかないし、批判の内容も建設的なものではなく「もう日本は嫌だ、国に帰りたい」くらいの個人的な恨み節にとどまった。留学生用のメーリングリストに配信される英文の文法的な間違いをあげつらっては馬鹿にした人もいた。

 こんなことがあった。私より半年遅れて台湾大学から早稲田大学に留学していた留学生のSさんがいて、彼女は期限までに授業料を納入しなかったせいで登録した科目を取り消された。大目に見てほしいと所属学科の事務所に泣きを入れたが、特別扱いはできないと言われた。すると彼女は、日本人は冷たいとか融通が利かないとか責任感がないとか日本はストレス社会だとか日本に住みたくないとか早く台湾に帰りたいとか、そういう愚痴を延々とSNSで垂れ流し続けた。帰りたいならどうぞご自由に、とその都度リプライを飛ばすのをこらえるのに必死だった。

「日常的な娯楽」と自ら称して、SNSで日本人と欧米留学生の悪口を(時おり人種差別的な言葉も交えて)言うことに興じていたSさんはある日、「台湾大学の課題レポートは日本ほど厳しくなくて、参考文献も注釈も書かなくていいから、日本に来てびっくりした!」という趣旨の発言をした。それを読んで、私はさすがに閉口した。

 当たり前だが、彼女が言ったことは事実ではない。課題レポートで必要に応じて参考文献や注釈をつけるのは、台湾大学においても基本中の基本だ。課題レポートの基準について彼女の所属学科がゆるゆるで、彼女自身も意識が低かったのかもしれないが、あたかも台湾大学全体がそうであるかのように、ネットという公の場で言いふらすのは大きな問題である。

 またある時、Sさんは「台湾の若者は親に依存しているし、大学一年生と二年生のうちはみんな子供みたいに幼稚だ」という持論を書き散らした。

 要するにSさんは、自分の意識とレベルの低さを自覚せず、世の中全員が自分と同レベルだと思い込むような、私の嫌いなタイプの人間だ。今なら何も言わずに交友関係を断ち、黙って遠ざけるだろうが、当時の私はそんな対応ができるほど大人ではなかった。それに、彼女とは(不幸にも)同じ寮で暮らしていて、日常的に顔を合わせなければならない状況にあった。彼女の暴論を見かねた私は、「そんなことはない。私自身もそうだが、親に頼れなかったり、夢の実現に向かって堅実に計画を立て、早くから独立している人を私はたくさん知っている」という趣旨の反論をした。

 すると、彼女は盛大にブチ切れた。「私がそんな幼稚な大学生だよ、一年生二年生のうちは自分が何が欲しいのか分からなくてふらふらしていたのに三年生に上がると急に台湾から出ていきたくて何の覚悟もなしに留学なんかして、日本語もへたくそで食べることと買い物をすることしか頭にないような幼稚な大学生だよ満足か」と開き直り、「そうだよあんたが一番偉いね、辛酸を舐め尽くして艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えてきたあんたの尊い人生を知らなくて本当に悪かったよ、そんな尊い人生を私に汚されるとよくないから留学期間が終わったらさっさと帰りな、じゃね」と人身攻撃し始めた。

 Sさんが「日本語もへたくそで食べることと買い物をすることしか頭にないような幼稚な大学生」であることに異存はないが、同じ大学に通い、しかも学年も私より上のSさんは実は私より大人で、きちんと対話すれば理性的な話し合いができるはずだと、そう思っていた私は、人間というもの、他人というものに期待し過ぎたのかもしれない。

 

 バイト先の中国人や同じ寮の台湾人など、不愉快な衝突もいくつかはあったが、一年間の交換留学はとても楽しく、貴重な経験だったことに変わりはない。初めて中長期滞在した東京は何もかも新鮮で、きらきらしていた。振り返っても、自分の人生においてあんなふうに何もかも鮮やかで刺激的に見える心境になれる時期は、そう何度もなかった。日本の愚痴を延々とこぼす周りの留学生を尻目に留学生活を堪能していた私は、さながら雛鳥の刷り込みのように、東京という巨大都市に徹底的に惚れ込んだ。

 今でも印象深く覚えていることがある。留学期間中に一回だけ京都へ旅行に行ったのだが、一週間の京都旅行を終えて夜行バスで新宿駅西口のバスターミナルに戻り、雲の向こうから這うように滲み出る早朝の光を目にした瞬間、私は思わずつぶやいた。ああ、、やっと家に帰ってきた、、、、、、、、、、。そして自嘲気味に思った。? まだ半年も住んでいない東京を、半年後には離れなければならない東京を、私はと言ったか?

 私の家は、果たしてどこなのか?

 なるほど、と私は独り合点をした。家というのはあくまで相対的な概念であり、どこに帰属感を抱くかの問題なのだ。旅先の京都に対して、まだ数か月しか住んでいない東京でも、強い帰属感を抱いているのなら、そこはもう家に違いない。逆に、たとえ生まれた家庭、生まれた街、生まれた国(日本語ではこれらを実家、出身地、生国しょうごくという)でも、そこに帰属意識がなければ、「家」たりえないのだ。私は(今でも)「台湾のどこ出身か」と訊かれるのが嫌でしかたがない。「どうせ聞いたこともないような片田舎だ」という思いもあるが、答えてしまうと、自分が選んでもいないし特段帰属意識もない、たまたまそこで生まれただけの街が、たまたまそこで生まれたという事実だけで「出身地」や「実家」と見なされ、いつまでも私という人間と結びつけて語られる、そのことが嫌で嫌でたまらないのだ。

 思えば、あの一年間の交換留学を通じて、私は東京という都市、日本という国に対する帰属意識を、緩やかになのか急速になのか分からないが、とにかく引き返せないほど培っていったのだ。ここが私の家だ、たとえ今はそうじゃなくとも、いずれはここを家にする、私が選んで、そうするのだ――留学生活が終盤に近づけば近づくほど、その想いが強くなる一方だった。

 一年があっという間に過ぎ、留学生活もカウントダウンに入った二月のある日のこと。深夜、名残惜しさに浸りながら部屋の机に向かって留学記を書いていた時、ふと、白い粉が空から降ってきたのが窓越しに見えた。

 初雪だ。その年に降る初めての雪であり、私が人生で見た初めての雪でもあった。

 しんしんと降り積もる白銀の雪が、瞬く間にすべてを覆い隠した。寮の家庭菜園兼物干し場も、寮の前のアスファルト道路も、駐車スペースに止まっていた車も、見る見る白く染まっていった。私は外に出て、ひとしきり眺めた。雪ってこんなに美しいんだと噛み締めた。

 部屋に戻った後もはやる気持ちが収まらず、私は再び机に座り、七言絶句を一首したためた。

 

遐遊瑞穂瞬経年、臨別堪傷夜不眠。

乍見寒窓銀絮舞、青女也為奏哀絃。

 

(遠く瑞穂の国・日本に留学して、瞬く間に一年が経ってしまった。この地に別れを告げるのが悲しくて、夜も眠れない。ふと、冷たい窓の向こうで、銀の綿が舞っているのが見えた。ああ、神話の中に出てくる、あの雪を司る女神も、私のために悲しい別れの曲を奏でてくれているのだ)

 

 台湾へ戻る飛行機に乗ったのは、雪の夜から数日後のことだった。空港では赤や紺色のパスポートを持っている人が多かった。彼らの多くは台湾に観光旅行に行くのだろう。観光名所を回り、グルメを頬張り、お土産を買い、短ければ数日間、長くても一週間か二週間で、彼らはまた日本へ帰ってくる。彼らを見ていると、私は無性に寂しくて、羨ましかった。緑のパスポートを持っている私が次に日本の土を踏むのは、いつになるのだろう。

 すべてはまだ未知数だ。しかし、と私は強く思った。今度日本に入国した時は、「ただいま」と言おう。「また来たよ」ではなく、「ただいま」、だ。

「今度日本に来た時は『ようこそ』ではなく『おかえり』って言ってあげるよ」

 別れ際に友達が口にしたその一言が、今でも忘れられない。

 どんな文脈なのか覚えていないが、留学中に、私が「日本に帰ってくる」と言うと、「『帰る』は家に使う動詞だから、琴峰さんが日本に使うのは正しくない」と日本人学生に指摘されたことがある。「帰る」と「戻る」の違いをはっきり意識したのはその時だった。この二つの動詞は中国語では区別されず、どちらも「ホイ」である。

 しかし、「帰る」と「戻る」の区別がはっきり分かっても、私にとって日本は「帰る」べき場所だった。「家」だったのだ。

「日本語お上手ですね」という褒め言葉に覚える苛立ちの正体が、そこにあるのかもしれない。この言葉を向けられた時に問題とされるのは言語能力よりも私の出自であるというのは前述の通りだが、自分が「家」と目している場所なのに、いつまで経ってもその繋がりを否定され、よそ者扱いされるような気分になるのだ。

 

 交換留学を終えて一年半後、私は再び成田空港に降り立ち、約束通り「ただいま」と言った。

 

*1 早稲田大学に通う「早稲女ワセジョ」が、年次が上がるにつれ待遇も変わることを表す言葉であり、早大生のための総合情報誌「Milestone Express」にも載っていた。ひどい女性蔑視の言葉であるのは言うまでもない。今も載っているかどうかは不明である。

※毎月1日に最新回を公開予定です。

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