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麻見和史『殺意の輪郭 猟奇殺人捜査ファイル』第10回


 郷田裕治に関する捜査は一旦おいておくことにした。

 今回の「三好事件」の被害者・手島恭介は、野見川組の下働きをしていたことがわかっている。このあと彼の仕事内容について掘り下げていこう、と尾崎は考えた。

 ひとつ咳払いをしてから、尾崎は広瀬に言った。

「手島恭介は運送業をしていた。その件を調べてみないか」

「彼がどんなものを運んでいたか、ということでしょうか?」

「それも含めて、手島の仕事ぶりを知りたい。関係があった者をたどっていけば、いずれ野見川組から請け負った仕事も見えてくると思うんだ」

「何かの運び屋ではないか、ということでしたね」

「それを確認したいわけだ」

「さすがにヤクや拳銃などを運搬させた人間は、なかなか見つからないでしょうけど……」

「やってみなければわからない」

「もちろんそうですが、組員を相手にするとなると捜査の難航が予想されますね」

 反論が多いせいで、ケチをつけられたような気分になってきた。尾崎は広瀬の顔を見つめる。

「君は俺のすることに反対なのか?」

 つい問い詰めるような口調になってしまった。広瀬は驚いたという顔でまばたきをした。

「反対なんてしません。尾崎係長のほうが、階級は上ですから」

「しかし、いちいち不満そうじゃないか」

「とんでもない」彼女は首を左右に振った。「私は尾崎係長の命令に従います」

 その言葉は前にも聞いたことがある。尾崎の命令に従う、と広瀬は明言しているのだ。だが、それにしては人の考えに難癖をつけるようなところがある。

「俺に従うと言うんなら、不満げな顔をするのはやめてくれないか」

 尾崎の言葉を聞いて、広瀬は眉をひそめた。

「私、不満げでしたか?」

「そう見えたよ。何かとつっかかってくるから、俺のやり方に納得できないんじゃないかと思っていた」

「まさか……。このコンビの捜査方針を決めるのは係長ですよ。私にはただ命じてくださればいいんです」

「文句はないのか」

「私のほうに文句なんて、あるわけないでしょう」

 どうも話がよくわからない。言っていることとやっていることが、ちぐはぐという感じがする。しばらく考えてから尾崎は彼女に尋ねた。

「そうすると、君がいろいろ言うのは不満があるから、というわけじゃないのか?」

「違います。疑問に思ったことを質問しているだけです。または、こういう可能性もありますよとお伝えしているだけです」

「……自分の意見を押し通したいわけじゃない、と?」

「押し通したりしません。方針を決めるのは尾崎係長ですから」

「俺は命令すればいいのか、君に」

「ええ、命令してください。私はそのとおりに動きますので」

 尾崎は低い声を出して唸った。つまりこういうことだろうか。彼女はその都度、疑問を口に出す。だが尾崎はそれを無視して──あるいは、参考にする程度に留めて、捜査の判断を下せばいいということか。

 だったらいちいち質問せず黙っていてくれればいいのに、と思う。しかし性格上、彼女は疑問に感じたことを口に出さずにはいられないのかもしれない。

「俺の判断が間違っていたら、それ見たことかと責めるつもりじゃないだろうな」

「そんなことをする理由がわかりません」広瀬は言った。「私は係長の部下です。部下が上司を責めるなんて、あり得ないでしょう」

 あり得ないことではないと思うのだが、ここは彼女の話に合わせることにした。

「わかった。じゃあ俺と一緒に、手島恭介の仕事内容を調べてくれ」

「承知しました」

 結局、口答えが多いのは気にせず、広瀬にはただ命令すればよかったらしい。今まで感じていたやりづらさの原因はこれだったのか、と尾崎は納得した。
 
 関係者を当たっていくうち、手島と親しかったという男性が見つかった。

 飛田といって、二カ月前まで手島と同様、クマダ運輸の配送を請け負っていた人物だ。今はその仕事をやめ、ビル清掃の会社に勤めているという。今日のシフトは夜勤だそうで、昼間に話を聞くことができた。

「まさか、手島さんが殺されるなんてねえ……」

 浅草橋駅近くのカフェでコーヒーを飲みながら、飛田は言った。歳は三十前後に見えるから、手島より十歳ぐらい年下ということになるだろう。

「危ない仕事に手を出しているみたいだったから、たぶんそのせいだろうなあ」

 顔を曇らせて彼はつぶやいた。尾崎は尋ねる。

「手島さんとはどんなおつきあいをなさっていたんですか」

「一時期ふたりでよく飲みに行ってたんですよ。クマダ運輸の仕事は個人でやるから、普段は一緒になることはありません。だけど支店に行ったとき、何度か顔を合わせましてね。それで、個人的なつきあいで飲みにいったわけです。情報交換をしたり、仕事の愚痴をこぼしたりね」

「危ない仕事というのは、具体的にどんな内容ですか」

「もう亡くなったというから話してしまいますけど……。いい稼ぎ口がある、と手島さんは言ってたんですよ。どこかの暴力団でしょうかね、そういう組織の運び屋をしていたんですって」

 そこまで手島が話していたとは驚きだ。酔って気分が高揚したせいなのか、それとも飛田を運び屋の仲間に引き込もうとしていたのか。

「誘われましたか、その仕事に」

「ええ。でも、俺はそういうのは怖いからって断ったんです。無理強いはされませんでしたけどね」

「郷田裕治という名前を聞いたことはありませんか」

「ああ、郷田さんですか。覚えていますよ。手島さんの先輩でしたよね」

 これはいい、と尾崎は思った。隣をちらりと見ると、広瀬も小さくうなずいている。どうやら、飛田から何か情報を引き出せそうだ。

「手島さんはどんな話をしていましたかね」尾崎は続けて尋ねた。

「その郷田って人も組関係の仕事をしていたみたいですよ。まったく、怖いもの知らずですよねえ。……それでね、手島さんはいつも忙しそうにしてたんですが、郷田さんから頼まれて何かを調べていたらしいんです」

「いったい何を調べていたんでしょうか」

「町を見て回っていたとか」

「……町を?」

「大事な計画があるんで、その下調べだとか言ってね。まあ、詳しいことは教えてくれなかったんですが……」

 下調べのために町を見て回る。その言葉を聞いて、尾崎の頭に浮かんだことがあった。もしかしたら郷田たちは何かの犯罪計画を立てていたのではないか。郷田の前歴の多さを見れば、自然にそういう疑いも出てくる。

「やっぱり、何かヤバい仕事だったんでしょうかね」

 飛田も同じことに思い至ったようだ。だが、こちらとしては安易に同意することもできない。

 尾崎は相手に向かって、曖昧にうなずいてみせた。
 
 飛田と別れたあと、尾崎はカフェの外でスマホを取り出した。

 通話履歴から、ある番号を呼び出して架電する。じきに男性が応答した。

「はい、加治山……」

 班長の声だ。相手の都合もあるだろうから、尾崎は手短に用件を伝える。

「尾崎です。地取り関係の話なんですが、今回の事件現場の近くで、過去に手島恭介が目撃されてはいませんか」

「過去に、というと?」

「時期はわかりませんが、もしかしたら何か調べていたんじゃないかと思って」

「犯人が下見をするならわかるが、被害者の手島が前に来ていた、というのか?」

「俺の勘では、そうです」

「ちょっと待ってろ。今、報告書のデータを調べてみる」

 昨日の聞き込みの結果は、各捜査員から報告書として上がっている。そのデータを加治山班長に調べてもらおうというわけだ。

 三十秒ほどして、再び加治山の声が聞こえた。

「二件報告が上がっている。写真を見せて情報収集したところ、三好事件よりずっと前に、手島があのアパート付近で目撃されていたようだ。民家の庭を覗き込んだりしていたらしい」

 当たりだ。尾崎は心の中で快哉を叫んだ。

「いつごろかわかりますか」

「日にちははっきりしないが、五年ぐらい前じゃないかという話だな」

「本当ですか!」

 五年前といえば坂本が刺され、郷田が交通事故死した「錦糸町事件」の年だ。

 偶然どちらも五年前だった、という可能性もある。だが、手島が何かの調査をしていたことが、錦糸町事件と関係していた可能性もあるだろう。

 今の自分の考えを、尾崎は加治山に伝えた。

「まだ何とも判断がつかないな」加治山は言った。「とはいえ、面白い考えだ。引き続き情報を集めてくれ」

「了解です。では……」

 そう言って尾崎は電話を切ろうとした。だがそのとき、加治山が鋭い声を出した。

「尾崎、待て!」

 驚いて尾崎は耳を澄ます。電話の向こうで、加治山が部下から報告を受けているようだ。緊迫した空気が伝わってくる。

 ややあって、加治山が言った。

「今、捜一から連絡があった。赤羽で殺しだそうだ。……メールで場所を教えるから、至急現場に向かってくれ」

「赤羽ですか? どうして深川署の俺が?」尾崎は首をかしげる。

「うちで調べている事件と何か共通点があるそうだ」

「それはつまり……同一犯の仕業ということですか?」

「その可能性がある。厄介なことになったな」

 スマホを握ったまま尾崎は黙り込んだ。そばにいる広瀬も事件の発生を察したらしく、険しい表情を浮かべている。

 犯人は第二の事件を起こしたというのか。昨日の今日で、ふたり目を殺害したのだろうか。その行動はあまりにも早すぎる。

 広瀬とともに、尾崎は浅草橋駅へと急いだ。

※ 次回は、4/9(火)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)


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